いちばん苦労する人
「いちばん苦労した人が、いちばん感動するのです」。今年の『青年塾』のサマーセミナー解散のとき、私は、運営事務局に携わってくれた人たちにねぎらいの青葉をかけた。『青年塾』の九州地区塾生諸君は、献身的に準備してくれた。その力の注ぎ具合は、運営の流れ全体を見ていたら、手に取るように解る。『青年塾』の合言葉の一つである、「そこまでやるか」というところまで、徹底した準備がなされていた。ずいぶん苦労したであろうことは、運営に携わってくれた人たちから、聞き及んでいた。5回も現地に足を運んだ人もいたと言う。看板を書いた人、実際に宿泊を体験した人、案内のパンフレット作成に精魂込めた人、それぞれの人たちが、自分の許される範囲で、力の限りを尽くしてくれたのである。参加者は、たくさんの感動をもらった。しかし、本当の感動を得たのは、いちばん苦労した人たちではないかと私は思っていた。
私の思いは間違っていなかった。一昨日からの『青年塾』西クラス研修で、サマーセミナーの事務局を担当した人たちが、順番に立って、サマーセミナーのときの感想を述べてくれた。みんな口をそろえて、「すべての日程を終えて、参加者がバスに乗り、帰っていきました。その人たちを手を振って見送っているうちに、熱いものがこみ上げてきました。本当に、涙が出そうになったのです」と言う。やはり、いちばん苦労した人たちが、いちばん感動したのである。私はそのことを知って、改めてうれしくなった。
世の中、いちばん苦労した人がいちばん損であるととらえがちである。「私ばかりがどうしてこんなつらい日にあわなければならないのか。私ばかりがやらされて、損な役回りだ」と嘆く人も決して少なくない。しかし、それは見方があまりにも浅いし、狭いし、被害妄想的だ。自分から進んで苦労すれば、誰よりもいちばん感動できるのだ。「苦労は買ってでもしろ」と教えた先人は、偉い。苦労を買って出ることが損ではなく、いちばん得をするのである。そのことに確信をもてたことがうれしい。自分が精一杯の努力をしてお世話をして上げた結果、みんなが喜んでくれる。「あ-、手抜きせずに、精一杯お世話してあげてよかった」、そんな体験を積み重ねることは、多くの感動を得ることであり、自らの人間的な成長をはかっていくいちばんの方法であり、人生を豊かなものにしていく道である。