運動会
こんな運動会は初めてである。
運動会の会場になったのは、休校になった世屋小学校の体育館。床にぺたりと座り込んでいるのは、ほとんどがお年寄り。と言っても、老人会の運動会ではない。世屋地区としては、年間で一番大きな行事であるこの運動会に集まったのは、世屋地区の住民である。「世屋地区住民の半分ぐらいの人が集まっています」と、公民館長の橋本智明さんが説明してくれる。今までは、五つの地区の集落が、地区別に競争をしていた。今年は、競走するための選手の数が少ないために、紅白二つのチーム分けになってしまった。
ちなみに住民の数を集落別に聞いてみた。畑が二十八人、木子が十二人、下世屋が七十人、上世屋が二十二人、松尾が八人である。これではとても集落別対抗などは無理だ。
この日の競技は、十二もある。風船割から始まり、パン食い、ざる引き、玉入れ、魚釣り、樽ころがしなど、お年寄りに配慮したものばかりだ。競技別に出場する人を選ぶのが大変だ。腰の曲がった人や歩くこともおぼつかない人が、駆り出される。無理やり競技に駆り出されて、「無理するなよ」と声がかかるのも面白い。ここではあまり、「がんばれ」の声援がない。あまりがんばり過ぎると、何か事故が起きても困る。
「この地区では、ゲートボールをする年寄りがいない」と橋本さんは言う。農業を営んでいる人がほとんどだから、時間さえあれば、ついつい畑に出てしまう。体が起き上がれる間は、畑で働くこと。そんな習慣が身に染み付いているから、ゲートボールでもしながら、ゆったりと過ごすことを知らないのである。勤勉な農村のお年寄りらしい。
この運動会に、『青年塾』の塾生が特別参加した。もちろん、地元の熱い招請を受けてのことである。お年寄り中に若い人たちがたくさん混じったので、「いつもの運動会と雰囲気が変わった」と、地元の人たちに大いに喜ばれた。地元青年の綱引き大会は、みごとに『青年塾』の負け。地元の人たちは、とても青年とは思えない人たちが主力であった。それでも、農作業で鍛えた体力は、若い者には負けんとばかりの力強いものであった。
この地区の小学生の数は、わずかに三人。そのために、子供の競技ともなると、三人は休む間がない。少子高齢化、そんな言葉が頭の中をよぎった。過疎化した地域の特別な風景と思われているものが、やがて日本全国で当たり前になる日は、そんなに遠くないのだ。