松下村塾を訪れる人たち

上甲 晃/ 2004年01月20日/ デイリーメッセージ

山口県萩市に住む松田輝夫さんは、私にとっては、吉田松陰への手引きをしてくれる、大切な師匠である。市内の公立小学校の校長を最後に教壇を去ってから、既に十九年。その間、ずっと郷土の歴史を研究するかたわら、ボランティアとして、萩の町を訪れる人たちの案内役を買ってきた。間もなく八十歳になる高齢だが、なぜか三十歳でこの世を去った吉田松陰の風貌に実に良く似ているのだ。瓜実(うりざね)顔で、面長。松下村塾に掛けられている吉田松陰の肖像画にそっくりに見える。私は、松田先生の話を聞いていると、吉田松陰の話を聞いているような錯覚に陥ることさえある。

今年の萩講座でもまた、松田先生の話を聞いた。何度も聞いた話ではあるが、私には、新鮮で、感動的だ。とりわけ松田先生の話は、わかりやすい。「大事な話をわかりやすく話ができる人」は、物事を正しく、深く理解している人だ。その点でもまた、松田先生を尊敬できる。

「退職して十九年、多くの人たちに萩の町を案内しました。最近気がついたことですが、萩の町を訪れる人にも、一つの傾向がありました。最初にやって来られたのが、学校の先生をはじめとする教育関係者。教育者としての吉田松陰に学ぼうというわけです。次にやって来たのは、公務員や政治家。町おこしの盛んな頃でした。この古い町から何かを学ぼうと、全国から視察に来られました。そのブームも、いつの間にか、すっと消えてなくなりました。そして今、中小企業をはじめとする企業の若い経営者や幹部が、たくさん来られています」。松田先生は、自らの体験を通して感じている、訪問者の傾向をまず紹介された。

どうして、今、中小企業を中心として、企業の人たちに、萩の町は人気があるのだろうか。その答えを、松田先生は、次のように説明してくれた。「厳しい競争を生き抜くために、企業は血のにじむような努力を重ねてきました。そしてあらゆる努力をした結果行き着いたのは、意欲のある人を育てることこそ組織にとってもっとも大切であるということ。松下村塾のように、地域のごくありふれた子供たちを集めて、天下を揺り動かすような人に育てた吉田松陰、松下村塾から何かを学ぼうというわけです」。

明治維新に向け激動期を生き抜いてきた人たちの中でも、松下村塾に集った人たちは、ごくごく普通の青年達たちである。その普通の青年達が、明治維新という大改革を成し遂げていった。企業の関係者は、その歴史の中に、自らのこれからの進むべき道を探ろうとしているのだ。「人はつくるものではなく、育てるもの」と、松田先生は言う。

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