副市長の奮闘

上甲 晃/ 2004年06月03日/ デイリーメッセージ

ちょうど一年前に横浜副市長に就任した前田正子さんは,松下政経塾の第三期生である。大阪出身らしく,庶民的な性格で、お高く止まっているところはまったくない。本音ですげすげものを言いながら,どこか愛嬌があり,聞いている人達に大いに好感を抱かせた。

五月二十六日に開催した、私が主宰する「日本の進路研究会」の第十回目の講師は,前田正子さん。会場は、横浜の゛みなとみらい二十一゛のシンボル的存在であるランドマークタワーの十三階にある大会議室。およそ四十人ほどの受講者は、しばしば会場の爆笑を誘いながら進めていく前田さんの話に、引き込まれていった。「中田市長も,魅力的な人を副市長に選んだものだ」と、喝采を浴びた。

 ある生命保険会社の研究員であり、十二歳と二歳の二児の母であった前田正子さんに,松下政経塾の後輩である中田宏氏(横浜市長)から突然電話がかかった時の用件は,「子育て支援の仕事を手伝ってくれないか」といった程度の内容であった。子育てや保育園の体験を何冊かの書物に著していた前田さんは,その延長線上での依頼だろうと,「いいわよ」と軽く受け止めた。

しかし,その電話は,前田さんを副市長に抜擢する中田氏の最初の布石であった。やがて,前田さんが,「あの話はなかったこと」と忘れかけたころ、「副市長を引き受けてほしい」との依頼があった。議会の根回しなどがあり、事は簡単に運ばない。中田氏は、「結論が出るまで極秘」と口止めしたころから,前田さんは,「大変なことになった」とあわてた。時既に遅し。外堀も内堀も埋められ,あれよあれよと言う間に,副市長の席に座るようになった。「あのころは,出産して一年の育児休暇が明けたばかり。深く物事を考える余裕もなかった」と前田さんは,笑い飛ばす。

やがて議会で正式に就任が可決された直後,人事局長がきて,「副市長の担当は,福祉と医療と横浜市立大学,そして教育です」とうやうやしく申し渡されて,仰天した。「私がそれをすべてやるの?」と聞き直したら,「さようでございます」と人事局長は涼しい顔で答えた。
それから、前田副市長の一年は始まった。

「横浜市には三人の副市長がいます。財政と人事を握る筆頭副市長、横浜市役所始まって以来の秀才と噂されるもう一人の副市長,そして私です。もともと、私が担当する仕事は,今まで,中央から来るお金をばらまくだけの仕事だから、女性が担当すればいいと決まっていたようです。ところが、財政危機に遭遇して,お金を配るどころか、厳しく支出を見直さなければならない時代を迎えて,私の担当する仕事も次から次へと大きな問題に直面しました」と話を始めた前田さん。老人の無料バスの廃止,横浜市立大学の独立法人化、さらには直営病院の改革など,過酷とも言うべき大問題に立ち向かわなければならなかった。

敬老パスは,七十歳以上の老人が無料で、バスや地下鉄に乗れ制度。お年寄りにはありがたい特典ではあるが,財政難の折,このまま増え続けていく高齢者に対応することができないことは目に見えている。平成二十年には百億円,平成三十年には百五十億円の財源が必要だ。「年寄りを敵に回すと,選挙に勝てない」と脅かされるたびに,今までの市長はこの問題を先送りしてきた。だから、市役所の幹部は,「中田市長も手をつけられまい」とたかをくくっていたふしがある。しかし,中田市長は敢然としてこの問題に手を着けた。多くのお年寄りから、脅迫まがいの抗議が寄せられた。「年寄りを殺すつもりか」と詰め寄る人もいた。しかし、ない袖は触れない。また、自分の人気のために、破綻する財政を放置できない。中田市長は、本気にこの問題に取り組んだ。

それは市役所の職員に,「中田市長は,市政改革に本気だ」と思わせるだけの衝撃があった。そして、「お金を配って,みんながハッピーになる時代は終わった。これからは、行政サービスの切捨てに本気で取り組まなければならない」と覚悟を決めさせることにもなった。

前田市長の役割は、これからの時代に本当に必要なものは何かを見極めて、投資すべきものは投資する一方、不必要なものや赤字垂れ流しているような事業を大胆に切り捨てていくことだ。それは口で言うほど簡単ではない。なぜならば、そこに既得権益者がいるからだ。抵抗は、すこぶる激しい。しかし、前田さんはめげない強さを持っている。

横浜市が直営する三つの病院は、巨額の赤字に陥っている。新しく完成する新港湾病院は、前市長の悲願だった。大理石を敷き詰めた新病院は、全国一贅沢な造りである。ところが、残念ながら、この病院をオープンすると、巨額の赤字が待ち受けている。バブル全盛時代の発想は、今となさっては、すべてお荷物どころか、命取りにもなりかねない。

前田さんは、中田市長と力を合わせて、大胆な市政の改革を進めている。役所の職員が、中央からのお金をばら撒いて、ふんぞり返る時代は終わった。「ただ、市民の意識も二分化しています。

前田正子さんの話は、大変に刺激的であった。何よりも、これからは市民意識の高揚が求められると、つくづくと思い知らされた。家の前に横たわる猫の死骸を見て、自分で処理できる人、役所へ電話をかける人。その違いが、これからは大きな違いを生むことになるだろう。

この記事をシェアする