天皇家のダッチロール

上甲 晃/ 2005年02月17日/ デイリーメッセージ

「昭和天皇の時代、週一回、天皇ご一家は吹上御所に集まり、食事を共にしておられました。そして昭和天皇は、家族の様子や世の中の動きについての情報をみんなから聞いておられました。平成天皇になってから、そんな会合は持たれておりません。それは平成天皇が皇太子の時代、美智子妃殿下にとって、週一回の夕食会が一番辛かったようです。平成天皇は、辛い思いをみんなにさせてはかわいそうだと、定例の夕食会を止められました。その結果、天皇家の中でのコミュニケーションがなかなか取れなくなり、今回のような騒ぎにつながりました」。皇室ジャーナリストである松崎敏弥さんを招いて開催した「日本の進路研究会」での話。

若い人達の間で、天皇に対する関心がどんどん薄らいでいると聞く。また、天皇家に関心のある人も、週刊誌的な興味による人が多い。私は、改めて天皇の存在についてしっかりと基礎的なことを学んでおきたいと思い、この勉強会を開いた次第である。そして分かったことは、時代と共に変化しつつある天皇家の動きである。

「天皇とは何かと子供から聞かれた時に、どんな風に答えればいいのでしょうか」と質問した人がいた。松崎さんは、「いい質問ですね」と受け止めて、「国民の幸せを祈る人」と答えた。実に明快だ。天皇は、権力者でもなければ、支配者でもない。国民の幸せを祈ることを本業とする人なのである。ところが、政教分離の原則により、その本業は、国事でなく、天皇家の私事である。天皇制もまた、根本において、ねじれてしまっているのだ。神嘗祭、新嘗祭といった天皇にとって最大の役割を担うべき祭事もまた、今は私事なのである。その祭事を行う人達は、国家公務員ではなく、天皇家の私的な雇い人である。そしてその人達の報酬は、天皇家の財布から支払われている。国民の幸せを祈るという本業が私事の扱いであるところから、天皇制はダッチロールし始めているのだ。

また終戦直後、皇太子が帝王学を学ぶための組織を設立する計画が、GHQによって阻止された。「これからは特別な教育をする必要はない。何事も、国民と同じようであればいい」との理由からだ。その考え方が、結果的には民間から皇太子妃を選ぶ流れとなり、今日に至っている。

封建時代、「他人のために自らを潔く犠牲にする武士道」が日本人の精神的支柱であり、明治以降は、国家神道が日本人の精神的な支柱であった。その支柱を失ったのが、今日、日本が混迷している最大の原因である。新しい時代を生き抜く精神的な支柱が求められる時代だ。私は、その中で天皇制の位置付けを考え直さなければならないと思った。

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