清らかな心宿る
足元も見えない暗闇に立った。目の前を五十鈴川が流れている。小雨が、衣服を脱いだ身体を濡らす。それほど寒くない。かつて大雨の時、水に入る前から寒さに震えたことがある。その時に比べたら、比較にならないほど、この日の外気は暖かい。「礼」の掛け声に、総勢三十人を超える参加者が、五十鈴川の流れに向かって頭を下げる。今年の『青年塾』東海クラスの伊勢講座は、禊(みそぎ)でクライマックスを迎えた。
まず準備の運動をする。女性は白衣、男性はふんどし姿。周りが暗いので、隣が誰かもわからない。舟こぎの要領で、掛け声をかけながら、「えい、えい」と気合を入れる。左に二回、右に一回。やがて深呼吸をすると、いよいよ水の流れに向かう。「流汗鍛錬」の掛け声をかけながら、両手をしっかりと結んだ腕を上げ下げしながら、三列横隊で前に進む。あっという間に、足首まで水の中に入ってしまう。外気の暖かさに比べると、川の水は思った以上に冷たい。さらに数歩で、腹の辺りまで水の中だ。川面が目の高さ近づく。足元は、ごろころと転がっている石を踏むたびに不安定に揺れる。思わず、履いてきたビーチサンダルを流す人もいる。事前に、「ビーチサンダルが脱げても、追わないように」と指示されていたので、ビーチサンダルだけが私達の群がりから、静かに去っていく。誰かが、「くすり」と笑う。
「えーい」。鋭い賭け声が暗闇を切り裂く。全員、合掌のまま、首まで水の中に沈む。全員の首から上だけが、五十鈴川の川面に並ぶ。川の対岸は茂みになっていて、真っ暗だ。かつて蛍が舞う姿を見たこともあるが、この日は、蛍の光を見ることはできなかった。いくつかの街頭の光が、川の流れに揺れる。そのほかに、目に入る光はない。闇の中で五十鈴川の流れが、心を静めてくれる。
「五十鈴川 清き流れの末汲みて 心を洗え 秋津島人」。明治天皇の作られた和歌を朗詠する。腹に力を入れないと、水の冷たさに負けてしまう。だから、全員、腹から搾り出すように声を張り上げる。昼は観光客でごった返すこの辺りの民家も、夜になると、人影がまったくなくなる。商家の人達も、別に構えた住まいに帰ってしまい、商店は固く戸を閉ざしている。二度、和歌を朗詠した後、しばらく静寂が闇の中に広がる。参加者が、静かに自分を振り返るにふさわしい時間だ。もう一度和歌を朗詠したら、再び、「えーい」と声がかかる。それを合図にして、川原に向かう。一言も話さない一段の中に、安堵の気持ちが広がるのがわかる。古来、日本人が大切にしてきた”清らかな心”の宿る気がした。