師の教え
「地位、肩書きで、人は切れない。人を切るとは、人を魅了するといった意味だ」。そんな強烈な一言を、私の背骨に叩き込んだのは、伝記作家の小島直記先生である。小島先生は、地位や肩書きばかりを追い求め、ありがたがる人を、゛俗物゛と決め付けて、極端に嫌っていた。例えば、名刺の裏にあらゆる肩書きを得々と並べて誇る人と出会った時などは、みるみる不機嫌な顔になった。また、世間では立派な人物と評価されている人達の、虚飾の仮面を引き剥がす小説は、痛快そのものだった。私が、人生において、最も影響を受けた師の一人だ。
その小島先生が、亡くなられた。月曜日の朝、いつものように、日本経済新聞の朝刊に目を通していた。社会面の下に、顔写真入りで、「伝記作家小島直記氏、死去」とあった。新聞の記事は、「明治以降の政財界人の人生を描き、独自の伝記文学の世界を築いた作家の小島直記氏が、十四日午後二時十四分、多臓器不全のため神奈川県内の自宅で死去した。八十九歳であった。告別式は近親者のみで行う」とある。
すぐに妻に伝えた。「うそっ」と、妻も驚く。「本当だ」と私。地位・肩書き、位階・勲章を極端に嫌い、「権勢を誇るような葬儀はまかりならぬ」と常々言い続けてきた先生の声が、記事の行間から聞こえてくるようだ。
私は迷った。すぐ駆けつけるべきか、日を改めて弔問すべきか。身内だけでひっそりと送ろうとしておられるのに、私が出掛けていくことは、かえって失礼ではないだろうかとも考えた。しかし、妻が横から、きっぱりと言う。「後から来られるのは、かえって迷惑。日を改めるのは、こちらの都合でしょ」と言う。私は、その一言に促されて、すぐに航空便を手配して、神奈川県の逗子にある、小島先生の家に向った。小島先生にひときわ可愛がられた松下政経塾卒業生の金子一也氏も一緒だ。
小島先生の自宅は、静まり返っていた。玄関のベルを押したら、平服姿の奥さんが出てこられた。側にお孫さんが立つ。家の中にいるのは、二人だけだ。持参した花さえ、何となく場違いな感じがするほど、家の中は普段のままである。小島先生は、狭い寝室に置かれた夫婦のベッドの一方に、入り口に頭を向けて横たわっておられた。顔に掛けた白い布がなければ、静かに休んでいる老人の姿だ。私は、小島先生の額に触れた。冷たかった。「大事なことを、色々教えていただきありがとうございました」と頭を下げた。ベッドの脇に、静かに線香が焚かれていた。
「地位・肩書きで人を魅了することはできない。高い志を持て」。そんな厳しい声が、聞こえた気がした。