死刑囚

上甲 晃/ 2009年02月20日/ デイリーメッセージ

免田 栄さんは、昭和23年12月、熊本県人吉市で起きた殺人事件の犯人として捕まり、死刑の判決を受けた。二審の福岡高裁で控訴を棄却されて、死刑が確 定した。そして福岡拘置所で死刑の執行を待つだけの身になった。その免田さんが、死刑執行を免れるどころか、最終的に無罪まで勝ち取った事件は、゛奇跡゛ とさえ言われた。
私は、熊本市内にある慈愛園の現在の園長である潮谷愛一さんを訪ねた時、愛一さんの父親である潮谷総一郎さんの話を聞い て、強い衝撃を受けた。総一郎さんが、゛奇跡゛と深く関わっていたのである。総一郎さんは、死刑執行を待つ免田さんに、教誨師として面接した。その時の印 象が、逆転判決のきっかけになった。総一郎さんは、免田さんと会った時、目を見て、「この人はやっていない」と直感したのである。
総一郎 さんは、免田さんの無実を証明するために、終始一貫、免田さんの心の支えとなり続けた。そればかりか、自ら、事件の経過を確認して歩いた。まるで、警察か 検察の取調べを地で行くような綿密なものであった。重要な証拠になったのが、事件の起きた時間、免田さんと共にいた女性の証言である。年端も行かない女性 は十代だった。警察や検察脅され、虚偽の証言をしたと言う。女性は、「本当は免田さんと一緒にいた。私の証言は、強要されたもので、嘘でした」と話した。
事 件はそこから大きく展開して、34年の苦闘を経て、免田さんの無罪が確定した。死刑が確定していながら、無罪を勝ち取ったケースは、まことにまれである。 総一郎さんが、免田さんの目を見て何も感じていなければ、奇跡は起きなかったかもしれない。また、総一郎さんが、無実を証明する活動をしていなければ、奇 跡は起きなかったかもしれない。私は、息子の愛一さんから話を聞き、身震いする感動を、全身に感じた。
免田さんは、34年ぶりに自由の身 になった。自由の身になったら、今度は、引き受ける人がいない。総一郎さんが、自らの運営する慈愛園に身柄を引き受けた。それから一年、免田さんは、ふつ うの社会人としての感覚を取り戻すのに、七転八倒の苦労をした。持ちつけないお金を持って、身を持ち崩すような事件もあった。人との関係に慣れないため に、様々なトラブルも起こしたこともある。しかし、その間、総一郎さんは一言も、何も言わなかった。「これから先は自分の足で立ち、自分で起こした問題は 自分で解決しろという父の方針でした」と、愛一さんが言う。免田さんはそのおかげで、後に結婚し、さらには人権擁護活動に身を捧げている。それにしても、 すごい人がいたものだ。

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