伊勢神宮から学ぶもの

上甲 晃/ 2000年05月29日/ デイリーメッセージ

―――特別講座の意図するところ―――
森首相が、「日本は、天皇を中心にした神の国」と発言して、物議をかもしている。その後、記者会見をはじめとして、さまざまな弁明に努めているようだ。しかし、発言に時代錯誤の感のあることは否めない。それだけではない。失礼ながら、森首相は、神道の本当の意味をあまり深く理解していないのではないかとさえ思われる。神道を深く理解していたら、あのような誤解を与える言葉を使わなかったことであろう。
6月16日から、志ネットワーク「青年塾」の特別講座として、伊勢神宮をテーマとして取り上げて学ぶ予定を立てている。この講座の真のねらいは、「日本人の常識として、神道とは何か、伊勢神宮とは何か、天皇の役割は何か、そういったことを最低限知っているべきではないか」との観点に立って、開催するものである。
決して、神道の信仰を無理強いするものでもなければ、”天皇中心の神の国” の考え方を押しつけるためでもない。だから仏教徒であろうが、キリスト教徒であろうが、特定の新興宗教の信者であろうが、関係なく参加していただきたいと呼び掛けてきた。これは信仰の問題ではなく、常識の問題なのであるから。
幸い、60人を越える人たちが、参加の申し込みをいただいている。昨年も大盛況であったが、今年も負けず劣らず、盛況だ。それだけ多くの人たちが、伊勢神宮に対して感心のあることがうれしい。本当に伊勢神宮のことを深く知れば、森首相の発言の危うさ、曖昧さ、そして理解の行き届いていないことが、おのずとわかってくるだろう。
神道というものは、天皇がこの国に現われる以前から、私たちの祖先の心のなかに深く根ざしてきた信仰心から生まれてきたものである。縄文時代、この国の先人たちは、天地自然に対して畏敬の念を深くもち、敬虔な祈りを捧げる心をもっていた。やがて、縄文時代から、弥生時代に移り、渡来人がこの国を支配し始めてから、天皇が存在するようになるのだ。
日本は神の国だと言うのではない。日本人は、元来、「深い信仰心を心のなかに秘めた国民」なのである。神の国というと、自分たちだけが特別に選ばれた国民のような錯覚を与えてしまう。すでに、そのことの誤りは第二次世界大戦にいたる過程で明らかになっているはずだ。
伊勢神宮講座は、深く、正しく、神道を理解するための学びの場。この機会を利用して、一人でも多くの人たちに、冷静で、かつ洞察力のある見方を備えてほしいと願うばかりである。無知であることは、さまざまな意味において、さまざまな人たちから付け込まれる原因になる。

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