高い精神から、ほとばしる生命力
―― 悠々自適の老後は、過去の話
「20年から30年後、日本の将来はこのままでは大変なことになる。食糧飢饉、食べるものがない。そんな危機が近い。飽食の時代にそんな馬鹿なことあるはずがないとみんな思っている。食糧なんか足りなくなればどこか外国から買えばいいではないか。そんな考え方が、日本にはびこっている」。とても91歳の人とは思えない声が、部屋全体に響き渡る。少し風を入れようとして開けられた戸の隙間から、絶叫に近い大きな声が外にまで届く。外を歩く人がいたら、きっとその大きな声に驚いて、家の中をのぞき見ることであろう。
その人は、小谷純一さん。紀ノ川のそばにある小豆(あず)島で、今も農業を営んでいる。京都大学農学部で農業経済を専攻した。教授の勧める役人への道を断り、農業者として一筋に歩いてきた。「職業に貴賎あり、農業こそ尊い仕事である」と信じている。その尊い農業の仕事をする人が少なくなっていることに危機感を抱いて、自ら、三重県に愛農高校を設立した。以来、36年が経過する。
今も、「本当の独立国家とは、食料の自給できる国である」との確信のもと、「国民が農業自給の必要性に目覚めて、立ち上がること」を説き続けているのだ。私が主宰する『青年塾』の有志が、小谷純一さんを訪ねて憂国、とりわけ憂農の思いに耳を傾けた。次代を担う青年たちは、91歳にして、「使命を果たすために、あと10年は生きなければならない」と言い切る強い言葉に、心をとらえられたようだ。
私は、小谷純一さんのすぐ斜め前に座っていた。4時間、とにかく話はとどまることなく続いた。手元のお茶にも、コーヒーにも手を出さない。声は、終始、明瞭、そして大きい。人は、果たすべき使命をもつと、こんなにも生命のエネルギーがほとばしるものかと驚くばかりであった。「骨と皮だけの身になっても、私の霊は熱く燃えているのです」、そんな言葉が極付けの迫力をもって私たちを包み込んだ。
小谷純一さんの目は、激しい気持ちの高ぶりから、涙ぐんで見えることもしばしばあった。その目を見ているうちに、ふと、一つの思い出がよみがえった。松下幸之助が松下政経塾を設立したとき、月に一回は、一晩泊りで塾生を指導した。そんなある日、朝起きてきた塾長の目が赤かった。「どうされたのですか」と心配して尋ねた塾生に、「日本の将来のことを考えていると、心配で心配で、目が冴えてとうとう眠れなかった」と松下幸之助は答えた。そのエピソードは、今も、塾の卒業生の間では語りぐさになっている。そのときの松下幸之助もまた、90に近い年令であった。
生きるエネルギーは、体力や年令ではなく、「生命の使い道」、まさに「使命観」にあることを強烈に教えられる思いがする。体をいたわることも長寿の必要条件であるが、それ以上に、「高い使命観」をいかにそなえていくかが長寿の必須条件であるのだ。
“年金をもらって悠々自適”、そんな老後は、もはや過去の話になろうとしているようだ。すなわち、老後を余生として楽しむ時代ではなくなっているのである。老後を”余生”と考えるのは、定年退職するまでを人生の本番とすることの裏返しである。第一、悠々と過ごすほど、十分な年金がもらえない時代は目前だ。昭和40年、松下電器に入社した私の同期生は、今年、次々に定年退職を迎えている。長いサラリーマン生活から解放される安堵感の裏に、将来の生活不安を共通して感じているようだ。
私は、”余生なき時代”、”人生、生涯現役の時代”がきたと、内心、ほくそ笑んでいる。「死ぬまで働いてください。それでなければとても皆様を養い切れません」、これが日本の近未来の現実なのである。年金事情はますます厳しくなる。とても、大勢の老人に悠々自適して、趣味に生きるような老後を保障できない現状は、誰の目にも明らかである。
ならば、開き直って、生涯現役の老後をひらいてみようではないか。私は、そんなやせ我慢も交えた決意で、54歳6ヵ月で、松下電器を退職し独立稼業に入った。妻と二人の零細家内経営であるが、誰はばかることなく、生涯現役であり続けられる。細々とではあっても、働いているかぎりは、収入もある。社会との生々しい接点がある分、老い込んでおれない。
中でも私が決意したことが一つある。「自分のため以上に、何か社会のためになる使命をかかげて歩んでみる」ことだ。自分のため、自分の家族のためには、もう十分に働いてきた。そして、子供も独立した今、それほど大きな出費の予定もない。「世のため、人のため」に生きる条件は十分に揃った。まさに、使命に生きる最適の時期であることに思いが至った。
『青年塾』を私は、今から4年前に設立した。次代を生きる青年たちに「高い精神、志」を植え付けることを目的として立ち上げた。今、全国に5つのクラスがある。塾生の数も、今年の第5期生は77人。すでに、過去の5年間で、350人の青年たちと出会うことができた。松下幸之助が設立した財団法人松下政経塾で現場の責任者として働いてきた私の過去の経験がすっかりそのまま生きるのがうれしい。
90歳を越えた老人の熱い心に触れて、私は、改めて「使命」、「志」こそが生命のエネルギーの原動力、源であると教えられた。そして、「使命」や「志」に生きる人生に踏み切るのに、定年退職は格好のチャンスである。余生、余った人生など存在しない。「今日までのすべての経験は、明日からの人生の本番のために準備されてきた」のだ。