『青年塾』塾生諸君への手紙
経済の低迷が、ずいぶん長い間続いている。バブルがはじけてからでも、かれこれ10年が経過する。その10年を指して、゛失われた10年゛といった表現がしばしば使われる。そして、今歩んでいるその次の10年が、過ぎ去った゛失われた10年゛ときっぱりと隔絶したわけではなく、むしろ、゛失われた次の10年゛になってしまう危険性を大いに秘めている。やがて20年後、゛失われた20年゛という表現が聞こえてくる危険性もかなりある。それほど、事態は深刻であり、原因は根の深いものである。
最近、書店に足を向けても、先行きの不安感をあおるタイトルの本が氾濫している。日本の将来を危ぶみ、悲観する論調が支配的である。いわく、「日本が沈没する日」、「日本が倒れる」、「日本がつぶれる時」。そんな類の本が、日本の将来に漂う暗雲を、いっそう暗いものにしているようだ。
私は、昨日のテレビニュースを見ていて、日本の国は、「つぶれるかもしれない」というよりは、「既につぶれてしまっているのではないか」と、暗澹たる気持ちになった。それは、成人式の行事を報じたものであった。もちろん、日本中には、まじめに、そして真剣に成人を迎えた人たちも少なくないと信じてはいる。しかし、テレビのニュースで見ている限りは、既に日本は精神において、崩れ去ってしまっているとしか言いようのない光景が、全国の至る所で繰り広げられていた。正直、その様子を見ながら、涙の流れるような、悲しくて、やりきれない気持ちが襲ってきた。
過去のどの時代に比べても、新成人たちの出で立ちは、華やかである。しかし、彼らの目には、未来への希望に満ちた輝きなどまったくない。もちろん、その立居振舞において、惚れ惚れとするようなりりしさなど、かけらもない。髪の毛をとりどりに染め上げ、式場の前で酒をラッパ飲みしたり、回し飲みしている姿には、日本人としての誇りなどというものは無縁だ。
「日本は滅びてしまったな」。今日の日本は、経済的には、過去の遺産があるために、決定的な破綻には至っていない。すなわち、経済的には、日本はまだ滅びてはいないのである。しかし、精神において、既に日本はどうしようもないほど惨憺たる状態に陥り、ほとんど崩壊してしまっていると言っても過言ではない。そして、国家において、精神が滅びることは、致命的に危険なことであることを、私は愁(うれ)いているのである。
私自身、「グローバル時代に生き残るためには、ローカル的なものにこだわることが必要である」との信念を持っている。とりわけ、精神において、国家の枠組みを超えることはなかなか容易ではない。それどころか、『日本人としての誇り、尊厳、自信』をしっかりと心の中にもつことが、グローバル化していく時代にあっては、むしろもっとも必要なことであるとの信念をもっている。グローバル化は、「世界中が仲良く手をつなぐ時代の到来」を意味するのではない。むしろ現実は逆であろう。あらゆる紛争・争いが、常に世界的規模で頻発するのが、グローバル化時代の現実である。とすれば、そこで生き残るためにもっとも必要なことは、「日本人は、日本人らしく生きる」以外にない。世界中が、国益丸出しでぶつかり合う世紀、それがこれからの21世紀だ。その厳しい時代に立ち向かうにしては、日本人は、余りにもだらしなくなってしまった。
新成人は、現代の日本の精神状況を端的に現わしているだけだ。彼らが悪いのではない。彼らが生まれ出るような日本を、みんなして作りあげてきた、全体責任である。とりわけ、私も含めた大人の世代のだらしなさ、みっともなさ、骨抜き、腰抜けがひどいように思われてならない。
中国古典『中庸』に、「国まさに興らんとするとき、必ず禎祥(ていしょう)あり」とある。京都大学の教授である中西輝政氏の最近の著書である『日本の敵』という本のなかで知った言葉である。その意味するところは、「国の先行きの良いしるしとして、若者が生き生きとして社会に生気がみなぎること」であると解説されていた。逆に、国が滅びる時には、「青年の活気と道徳の目立った荒廃がある」とされている。それを、禎祥に対して、妖げつ(とてもパソコンにはない難しい漢字)という。日本の成人式を見ていて、私は、妖げつを感じたわけなのだろう。
『青年塾』の塾生諸君は、たとえ少数派であっても、禎祥(ていしょう)たるを目指そうではないか。『青年塾』に集う若者たちは、「生き生きとして、生気に満ち満ちている」ようでありたい。それは、ひとり『青年塾』のためではない。日本の救いとなるためにも、禎祥(ていしょう)をめざそうではないか。
給料のためだけにがんばるのではない。生活のためだけにがんばるのではない。自分の立身出世のためにだけがんばるのではない。車を買うためにだけがんばるのではない。海外旅行に出かけるためにだけがんばるのではない。精神を高らかに掲げて、日本人としての誇りに満ちた、りりしい生き様、背骨のしっかりと通った生き方、腹のドンと据わった生き方を、ともに求め合うためにこの『青年塾』に集ったことを改めて、確認しあいたい。
出発式が近い。何気なく一年間の時間が過ぎて、すべてが儀式的に進められるのであってはいけない。そんな悠長なことにうつつを抜かしている暇はない。激しく燃えて、厳しく挑む。手抜きはしない。全身全霊を打ち込み、『青年塾』の一年間におざなりな幕を引くのではなく、人生の出発点としてきっぱりと何かを打ち立てていただきたい。大いに、期待している。
『青年塾』代表 上甲 晃
★ お知らせ ★
1.出発式参加の準備を進めてください。
既に何度もお願いしているように、「修了発表会」、「日本どうする大討論会」、「出発式」は、三日間にわたる長丁場。そのうえ、「自分のことは自分でする」との基本方針に従い、準備のために、もう一日前から箱根に集合していただかなければなりません。今から、仕事の段取り、周囲の理解を得る努力を十分にしておいてください。
集合日は、3月7日(木)です。修了発表会は、8日(金)。
大討論会は、9日。出発式は、10日です。
2.本年度の特別講座をご案内します。
『青年塾』の特別講座は、何年も掛けて参加していただくようになっています。今年の特別講座を、同封のデイリーメッセージの巻末にすべて紹介しています。また、ホームページでも、紹介しています。ディズニーランド講座やバングラデシュプロジェクトをはじめとして、5期生の研修期間中になかった講座にも、積極的にご参加くだ
さい。
3.東クラスを応援しよう。
出発式は、東クラスの働きに負うところが大きいのです。現在、上田寛君を実行委員長にして、ほかの人たちもすべて役割を負ってくれています。ほかのクラスの人たちも、どうぞ、しっかりと応援してあげてください。「他人事」ではなく、「自分事」として。