吉田松陰
私が生まれた当時の、私自身の幼い姿を写した写真を、なぜか今も鮮明に覚えている。生後数ヶ月、あるいはそれにも満たない乳児の頃のことだ。私の枕もとに、大きな屏風があった。写真には、私よりも、屏風がはっきりと、大きく写っていたことを今もはっきりと覚えている。
私は、風除けに、母親がどこかから屏風を見つけてきて、私の枕もとに置いたのだとずっと思っていた。あるとき、その写真を見ていた母親が、つぶやいた。「私は吉田松陰のことが好きで、この子も吉田松影のような人になって欲しいと思って、この屏風を枕もとに置いた」と言うのだ。私は、その一言に、正直、奮い立った。吉田松陰のような人になって欲しい、そんな母親の願いを受けてこの世に生を受けたのであると思うと、不思議に血が騒いだのである。
『青年塾』の萩・下関講座で、松田輝夫先生の話を聞くうちに、私の内なる「吉田松陰」が騒ぎ始めた。齢60歳を越えて、血が騒ぐのである。そもそも、吉田松陰は、29歳でこの世を去っている。それに比べると、私は、既に3倍生きている。吉田松陰をはるかに凌駕する思想や知識を備えていなければならないはずである。しかし、とても吉田松陰に及ばない。決然として、吉田松陰に勝るとも劣らない志に生きなければならない、つくづくと教えられ、学ばされたひと時であった。
例えば吉田松陰は、「学は、人たるゆえんを学ぶなり」と言う。私は、その一言にも鳥肌が立つのだ。「一生懸命勉強して、いい会社に入るのよ」というのでは、学ぶ本当の意味はないのである。「人間として、いかに生きるべきか、いかにあるべきか、何が大切か」を学ぶのが、本当の勉強であるというのである。人間が生きる意味を、あるいは自分が生きる意味を探求するのが、本当の学びというわけである。私は、『青年塾』に託する私の思いと、吉田松陰の思いが余りにも共通するのに、身の打ち震う思いがするのである。
吉田松陰は、「志を立て、以って万事の源となす」と教える。私は、ここでも身が震えるのだ。「志こそ、生きるエネルギー源である」と言い続けてきた自分と、吉田松陰をいつの間にか重ね合わせてしまっている。心熱くなる学びが、うれしい。