熊野本宮大社の苦難時代
「熊野が世界遺産に認定されて、今、全国から注目を浴びています。みなさまが参拝いただいた時にも、きっとたくさんの参拝者がおられたことでしょう。しかし、私の父である名誉宮司が、昭和二十六年、この熊野本宮の宮司として赴任してきた時には、それはひどいものだったらしいです。戦争が終わった直後でもあり、神道がまるで戦争責任のようにとらえられていて、お参りにくる人などほとんどいなかったそうです。記録によると、昭和二十六年当時の参拝者は年間千人にも満たなかったのです。神社としての収入源とも言える初穂料やお賽銭も限りなくゼロに近く、宮司の妻であった私の母などは、本気で逃げ出したいと思ったそうです。ところが、名誉宮司は違いました。これはありがたいことだ、私の使命が与えられたと受け止めて,張り切ったそうです」。そんな話をしてくれたのは,熊野本宮大社の宮司である九鬼さん。
私は、ぺんぺん草が生えるような名門の神社の宮司を任された時に、「これはありがたいことだ」と受け止めた当時の宮司さんの志に注目した。人が逃げ出したいと思う状況を、「私の使命が与えられた。喜ばしいことであり、感謝感激である。自分を磨いていくために最高の場だ」と受け止めることができた当時の宮司さんに敬意を表した次第である。
宮司さんは、神社にとってシンボルとも言うべきお札を一杯持って、夜行列車に乗って東京に向かった。そして東京中を歩き回り、お札を配りながら熊野本宮大社のことを話し、「一生に一度はお参りに来てください」とお願いして歩いた。
また、神社で神様にお供えする野菜にも事欠いたために、宮司さんは、自ら畑に立ち、鍬や鎌を持って、野菜作りにも精を出した。神社の伝統の建物が痛み始め時には、自ら、はしごに登って補修した。
そんな努力は、「熊野本宮大社を再建することこそ、自分の使命である」と受け止めたからこそできたのである。人は、自らに与えられた境遇や条件をどのように受け止められるかによって、結果が大きく変わってくるのだ。良い条件や恵まれた境遇なら、誰でも喜んで受け入れることができる。問題は、悪い条件、悪い境遇が与えられた時だ。たいていの人は、逃げ出すことを考えるか、「自分ばかりどうしてこんな目に遭わなければならないのか」と不遇を嘆く。不遇と考えるか、ありがたいチャンスと受け止めるか、人生にかかわる大問題だ。