東日本大震災 緊急レポ2 女川の現状(千葉俊広)
未曾有の大津波が襲い、町の人口の半分が不明となった宮城県女川町。ここは、青年塾14期現役生の千葉俊広さんの実家がある町。現在、大阪の玄米酵素に勤務する千葉さんが、交通手段もない中を、ご家族を思い、帰省した生々しいレポートをご紹介します。
青年塾14期 関西クラス 千葉俊広
実家のある女川へ
3月15日から19日にかけて、私の実家がある、宮城県女川町に行って参りました。
あちらには両親、兄家族の他に何人も親戚がおります。幸い両親、兄家族は健在でしたが、家の隣にいた親戚など亡くなった可能性が高い者もおりました。家は実家、兄家族の家、共に流されました。現在、両親は高台にいる親戚宅に身を寄せています。
私が帰ったときはまだ道が遮断されていたところが多く、飛行機で伊丹→山形の庄内空港。庄内からはバスで庄内→山形→仙台と入りました。仙台からは確たる 交通手段もなかったのですが、駅前にタクシーを見つけ「ガソリンがあるところまで走ってあげる」という優しい運転手さんにあたり、実家から車で30分の石 巻までタクシーで移動することができました。
暗闇の中を歩く
石巻に入るとタクシーもなく、やむなく徒歩で女川に向かいました。向こうは電気が来ておらず、暗闇の中を歩いていると、偶然女川行きの方に車で拾っていただき、たどり着くことができました。
両親、兄家族、親戚、同級生と安否を確認しながら、女川を端から端まで歩き写真に納めました。まさに何もないという状況で、ニュースで壊滅と言われていた のが実感できました。向こうでは避難所生活も体験しました。山の上にある総合運動場には2000人以上の被災者が避難所生活を送っており、私も毛布1枚借 りて一緒に寝泊まりしました。
報道されない町の実情
電気は自家発電で照明だけはありましたが、ガス、水道は止まっていて、水、食料の支給は生きていくための最低限といった感じです。それでも、食事に関して は日に2回、具なしの白米おにぎり2個に味噌汁も付きましたからずいぶん良くなってきたと友人が言っておりました。私が行った日から雪が降り、2センチほ ど積もりました。ただでさえ寒い避難所はかなり室温も下がり、高齢者にはきつかっただろうと思います。
自衛隊の活躍で瓦礫は取り除かれ、落ちた橋は埋め立てられ、町内の移動は日ごと良くなりました。それでも夜は真っ暗になり、帰りの道がわからず危ない経験 もしました。治安は悪く、火事場泥棒のような徒党を組んだ窃盗団や、ガソリン泥棒が横行し、警備隊が負傷するという事態も起きています。美談ばかりが伝 わっていますが、現地は決してそんな感じではありません。「たばことガソリンの話はできない」という声も聞かれました。
水、食料もそうですが、それ以上に深刻なのがガソリン不足です。近隣の地区では、営業していないガソリンスタンドに250台の車が並び、他へ移動しようにもガソリンが全く手に入りません。
住民の半数が不明
被害の状況はテレビで報道されているとおりです。鉄筋の建物は枠組みだけが残り、木造住宅はほぼ残っているところはありません。友人の家は鉄筋のビルで中華飯店を営んでおりましたが、津波が来て鉄筋の家が海に浮き、ビルごと倒れました。
この時点では、住民は半数近くがまだ行方不明で、1万人の人口が最悪半分になる可能性もあります。家と職業を同時に失った方が多数という状況です。復興にはどれだけの時間がかかるのか想像もつきません。
有難いご縁
帰りは仙台まで車で1時間半の距離を全くあてなしのヒッチハイクでしたが、5人の方に乗せていただき仙台まで帰ってきました。再度に乗せていただいたのが 会社社長とその社員さんでしたが、社員さんは女川の同級生の従兄弟、社長は以前玄米酵素を会社で扱うか検討したことがあるという方(致知で知った)で、そ の偶然に驚きました。再度、玄米酵素導入を考えたいと言ってくれました。
今回の経験を仕事にも生かし、これからも精進して参りたいと思います。