サマーボランテイアキャンプができるまで
サマーボランティアキャンプ世話人・渋谷金隆
今回、私は世話人でしたので、サマーボランテイアキャンプの準備段階のお話を書かせていただきます。
「夏 休みに子供たちと家族が被災地でボランテイア活動をする機会を作れないだろうか。」上甲塾長からそんなご提案をいただいたのは6月上旬でした。すでに青年 塾で数回、被災地でのボランテイア活動をやっていたので、すぐに賛同しました。将来を担う子供たちが被災地のために汗を流す体験は、とても意味があると 思ったからです。家族と一緒ならばなおさらです。ゴールデンウィークに青年塾生を中心とした40名がボランテイア活動をした陸前高田と気仙沼を候補地にし て、早速6月下旬に現地事前調査に伺いました。
・子供たちがボランテイア活動のできる環境、作業内容であること
・被災地の方から直接お話が聞け、交流が深められること
・20数名が泊まれる施設があること
青年塾生の村上さんに震災当日のことを語っていただきましたこ れらを調査項目に挙げ、志ネットワークや青年塾でご縁をいただいた方を現地相談窓口にさせていただきました。陸前高田では青年塾生の村上一憲さんと村上さ んの農業の師匠である熊谷研さん、気仙沼では熊谷光良さん・聖子さんご夫妻です。この方たちの温かなご理解ご協力がなかったら、今回のボランテイア活動は できませんでした。村上さんには、九死に一生を得た震災体験を被災現場で皆に話してもらうことにしました。熊谷研さんからは、「陸前高田はホテルも旅館も 津波で流されてしまって泊まるところはないから、私の家の作業小屋を使っていいよ。ボランテイア活動も私の畑でガレキ撤去ができるよ。ここならそんなに危 なくないから。」と言っていただきました。熊谷光良さん・聖子さんからは、「大島がいいと思う」と、ご多忙にも関わらず、大島まで一緒に渡って対策本部に 連れて行っていただき相談してくれました。
倉庫を貸してくださった熊谷さんの畑を清掃しましたま た熊谷研さんからは、「震災以来、この辺の子供たちの元気が無くなってしまった。何か元気付けてあげて欲しい。」というご依頼をいただきました。そこで考 えたのが、「バーベキューとお楽しみ会」です。美味しいものを食べて飲んで、楽しいひとときを子供たちと持てたらいいじゃないか。上甲塾長に相談したら、 「全国の仲間に支援を要請したら」と言っていただきました。メルマガで募ったところ、肉、飲み物、お菓子、花火などを沢山送っていただきました。お楽しみ 会の内容で困っていると、塾長から紙芝居の長谷川ファミリーをご紹介いただき、渡りに船でお願いしました。今回は、困っていると助け舟が現れてくれて本当 に助かりました。天候にも恵まれました。何より参加者の人たちに恵まれました。不便不自由な環境の中、皆で協力し合いながら、ボランテイア活動をすること ができました。心から感謝します。また、こんな機会が持てたらと思います。
陸前高田市での4日間のボランティア
小学3年・川又大知
ボランティアキャンプ最年少の川又君8月1日月曜日、僕は陸前高田市に4日間のボランティアに行きました。
おじいちゃんとおばあちゃんに仙台まで送ってもらい新幹線に乗りました。新幹線の中に、こんどうようすけくんがいます。
僕がおばあちゃんに「もし、津波が来たらどうしよう!!!」といいました。おばあちゃんは「大丈夫、津波は来ないし、ちゃんと高台に連れて行ってくれるから」といってくれました。僕は「うん、わかった」といいました。
やまびこが来て新幹線に乗りました。乗っていった先は一関です。
一日目、村上さんに震災の話を聞きました。その後に熊谷さんの仕事小屋でベースキャンプをしました。あとは、夜ご飯を食べて復興の湯に入りに行きました。とても熱かったです。
二 日目、熊谷さんの畑にある瓦礫の掃除をしました。とてもつらかったです。突然、熊谷さんに「コンクリートを出してくれ!」僕は「はい!!」といいました。 ぼくはスコップで掘りました。てこの原理を使い何とか出せました。途中から種まきの手伝いをし、日が暮れるころにバーベキューをしました。僕はかき氷屋で す。
僕はかき氷屋です途中、パパが帰っちゃいました。さみしかったけど、そのまま帰らないで続けました。
三日目、大島の民宿に船で行きました。海に行ったら大きいボールみたいな海に浮かんでいるものを見つけました。後は、夜ご飯を食べてお風呂に入って終わりです。
最後の四日目、終わりの会で感想を言って、津波で流された糸を使って作ったキーホルダーの人形をもらって帰りました。
とても大変でした。
被災地「サマーボランティアキャンプ」感想文
小学5年・上甲遥華
私 が、この、「サマーボランティアキャンプ」に参加した理由は、祖父にすすめられたのもそうですが、自分で、私と同じ小学生の子供達が、震災のことなどを、 どのように思っているか、今は、どんな事を思っているか。子供達や、大人の人達のお手伝いが、少しだけでも出来ないかな。なるべく出来ないかな。今の被災 地は、どうなっているのかな。実際に見てみたい。と思って参加しました。
<八月一日>「サマーボランティアキャンプ」が、始まりました。とても、どんな所か、気になりました。
けど、仙台空港と、仙台駅は、<きれい>になっていました。
しかし、陸前高田へ行くと<きれい>とは、言えませんでした。
まず、「村上一憲さん」が、震災の時にどうしたか、ということを話してくれたので、その話を聞きました。
いろいろな、難しい判断をしていて、とても、大変だったという事が、分かりました。
それは、まず、「津波がきた」と、道路で、言っている人がいて、そこから、車に、乗らづに、走って近くにあった、急な道をまだ、0歳の子供を抱いて、奥さんと、必死に登ってきたそうで、本当に大変そうでした。
難しい判断とは、車に乗らずに、走って逃げたという事と、山の方ではなくて、急な道の方に、行った事です。こんな事は、なかなかすぐには、思いつかないと思いました。なので、村上さんは、すごいなと思いました。
そして、「熊谷研さん」の倉庫の方に着きました。今回、二泊三日お世話になる場所です。
まず、みんなで、倉庫掃除をして、とてもきれいになりました。良かったです。
そして、夜ご飯もみんなで作り、食べましたが、虫が、たくさん来たので、食べるのに、少し困りました。
その後、<復興の湯>へ行きました。復興の湯は、脱衣所と、お風呂が、一緒でした。
あと、シャワーが、1つしかなくて、なかなかお湯が、出ないので、苦労しました。
倉庫に、戻って、シートなどを敷いて、その上に、寝袋を置き、そして、寝ました。私は、すぐに寝られました。
ひまわりと瓦礫<八月二日>5時に、私は起きました。そして、昨日の食事に使った物のかたづけを手伝いました。そして、6時に、みんなが、起きてきたので、私は、用意をしました。6時30分になり、朝の集いをしました。終わってから、朝ごはんを食べました。美味しかったです。
今日は、「熊谷研さん」の田畑の掃除をやる日です。
私 は、とてもお手伝いがしたかったので、とても、頑張って掃除をしました。私は、特に、木材ばかりを集めていました。すると、お金が、出てきたり、カードが 出てきたり、マージャンパイが出てきたり、PPロープがあって、すごくたくさんのものが出てきました。PPロープで、少し遊んでしまいました。少し楽し かったです。そして掃除の時間が、終わりました。とても、疲れました。けど、お手伝いが、出来て、良かったです。
そのあと、女の子のみんなで、夜の為に「まるものおきてのダンス」を練習して、すごく楽しかったです。
バーベキュー&お楽しみ会の準備をするのも、楽しみで興奮してしまいました。けど、途中で、雨が降ってきて、心配してしまいました。けど、やんで、とても良かったです。
はじめは、どんな人が来るのかなと思っていました。そして、始まって、頑張ってカキ氷屋をしました。たくさんの人がきてくれて、うれしかったです。その後のダンスは、成功したし、アンコールが出たので、とても嬉しかったです。
塾長夫婦と村上さん一家<八月三日>今日は、陸前高田から大島に行く日です。
大島では、「海鳳さん」の所で、お世話になる事になりました。
大島で、「田中君」に出会いました。そして、「田中君」も一緒に、大島の海岸掃除をしました。ここでも、私は、木材を集めていました。疲れたけれども、手伝えて、良かったです。
<八月四日>今日は、「サマーボランティアキャンプ」最後の日です。
私は、調子が、悪かったので、朝の集いなどに参加出来なくて残念でした。
「海鳳さん」を出て、いろいろな所へ行き、最後に「村上力男さん」の作ってくれたおすしを食べました。とっても美味しかったです。
そして、「サマーボランティアキャンプ」が、終わりました。
とても、たくさんの、経験が出来たと思います。
また、こういう機会があれば、参加したいと思います。
「サマーボランティア」
中学1年・磯村和弘
東日本大震災から3か月以上が経過するというのに、未だ復興が進んでいないということを聞いて、「自分が何か役に立ったらなあ」と思い、このボランティアに参加しました。
最初に現地を見たときは、「ぼくが知らない間にこんなことになっていたなんて」と、ショックでした。だから、作業をするときは精一杯がんばろうと思いました。
そ して、作業に入るといろんなものが出てきました。とくに多かったのが大きな木で、柱の一部だろうと思います。とても重かったです。屋根にブイが載っている のを見ていたら、世話人さんが「あそこの高さまで波がきたんだよ。」と言ったので、とてもびっくりしました。それに、重たい物まで流されていたので、改め て、津波は恐ろしいんだと思いました。2日目の作業は自分なりにはがんばれたし、少しは役にたったんじゃないかなと思いました。
BBQなどのイベントを開催しました作業を終えると、次はBBQ&お楽しみ会の会場へ行って、パーティをしました。子どもたちはみんな元気で感心しました。BBQをおいしそうな顔で食べてくれたので、とてもうれしかったです。
3日目は、それまでお世話になった場所を離れ、次の場所へ向かいました。
3日目の作業は海岸清掃でした。長ぐつがぬれて気持ち悪かったです。海岸にもおもちゃや木材など、いろんなものが落ちていました。
海岸清掃も終わり、民宿に帰って夕食を食べました。夕食はとてもおいしかったです。
その後、おしゃべり会をしました。おしゃべり会の時、お面をかぶって前に出たら、すごくウケてました。うれしかったです。
そして4日目。ついに最終日。朝から民宿を出発して、気仙沼の方の話を聞いて、昼食を食べ、一ノ関駅で解散しました。
次もまた東北へ行こうと思います。
家に帰って家族に話をすると、
「話を聞くことも、一つのボランティアやな。」
と言いました。
「なんで。」
と聞くと、
「だって、ボランティアは向こうがしてほしいと思っていることをするんやろ?やったら。話を聞いてほしいと思ってる人の話を聞くのも一つのボランティアやんか。」
と言いました。
まったくもってそのとおりだと思いました。
今回のボランティアのことを日常生活にも取り入れて、役立てていきたいです。
今回のボランティアは本当に貴重な体験でした。ありがとうございました。
サマーボランティアキャンプを終えて
中学1年・渋谷真
このサマーボランティアキャンプの目的として「今、被災地は、どんな現状なのか、どんな事になっているのか」という答えを探すことでした。
そしてサマーボランティアキャンプが終わって、その答えが分かったような気がしました。
ま ず一つ目の「今、被災地は、どんな現状なのか」ということには、熊谷さん家へ行く途中など、ありとあらゆるところでその答えが分かりました。その答えと は、海側は、被害が大きいのに対して陸側は、被害が少ない。これは、海側の場合は津波と地震が来たのに対し、陸側は地震だけが来たからです。
次に2つ目の「どんな事に、なっているのか」という答えは、BBQで分かりました。そんなに被害にあわなかった僕達とは違い子供達の笑顔が最初無かったことです。これは、いろいろなことを目にやきつけられたり、いろいろなことを体験したりしたからだと思います。
今回のサマーボランティアキャンプを通じて、被災地のことを少し知ったような気がしました。この4日間は、貴重な体験だったと思いました。そして今回のサマーボランティアキャンプをしてまた行きたいと思いました。次に行く時はまた目的を持って行きたいです。
被災地ボランティアに参加して
中学1年・上甲舜華
ボランティアに参加した理由は、祖父が教えてくれたこともありますが、被災地は、今どういう状況になっているのか、どのような被害にあったのか、自分で見て、聞いてみたかったからです。
いざ行ってみると、駅や空港などはきれいになっていました。
し かし、陸前高田市の方に向かっていくと、家々はまだ今にも潰れそうな状態の家が多く、陸前高田市に着くと大体の家々は、潰され瓦礫の撤去作業を行っていま した。辺りを見回すと何もない世界が広がっていました。あるとしても瓦礫だけです。当たり前と思っていた世界が何もないので夢かなと思うくらい信じられま せんでした。
今どのような状況になっているのかは、よく分かりました。
最初に村上さんのお話を聞きました。急なところをまだ首の立っていない0歳のお子さんを抱いて登ってきたと聞いたとき、必死に登るといくら急でも登れるのだなと思いました。
熊 谷さんのお宅に着きました。寝るところもご飯を食べるも熊谷さんの倉庫(ベースキャンプ)をお借りしました。ご飯を食べるとき虫がいて大変でした。お風呂 は復興の湯に行きました。脱衣所とお風呂が仕切りがなく、つながっているので、狭くゆずりあいが大切だなと思いました。ベースキャンプに戻るため車に乗っ て帰る道はとっても怖かったです。本当のお化け屋敷のような感じでした。
ベースキャンプに戻ってきました。タオルを敷いて、一人一人寝袋に入って寝ました。
朝は6時30分に起きて、ラジオ体操を行い朝ごはんを食べて熊谷さんの畑の瓦礫撤去を手伝いました。生活で使うものがいろいろ出てきて本当に津波がここまで来たのだなと思いました。
お 昼にベースキャンプに戻ってきました。昼ごはんを食べて、BBQの準備をするため、ふれあい市場に行きました。車から荷物を出しました。ほとんど運ぶだけ で私たちはしゃべってばかりでした。被災地の子供たちが来たら、女子はジュースとかき氷をほしいものを聞いて渡しました。長谷川さんファミリーの紙芝居が 途中でありました。終わったあとこっそり練習していた”マルマルモリモリ”を踊りました。被災地の子供たちも知っていたので、踊りやすかったです。BBQ が終わって被災地の子供たちが帰ったあとみんなで少しだけだったけど、花火をして楽しかったです。
この日は、疲れたのですぐ寝ました。しかし、蚊が多くて寝られませんでした。しかも起きたとき地震があってびっくりしました。
また、朝6時30分に起きて、ラジオ体操を行って朝ごはんを食べてBBQの片付けをやりに行きました。私は鉄板を新聞で拭くのを手伝いました。帰ってきて荷物をまとめて熊谷さんにご挨拶をして気仙沼に行きました。そこから、フェリーに乗って大島に行きました。
大島の海岸ボランティアの様子着 いて目の前には船があってびっくりしました。津波の影響で陸に上がっていたからです。この日は、民宿で泊まるので民宿のバスに乗って行きました。周りは誰 もいないような寂しい空間でした。いままで見た中でもっともひどかったです。しかし民宿はきれいでした。民宿の方のお話によるとお風呂は、ぐちゃぐちゃに なっていたけれど、早くに復興したらしいです。民宿は地震があった感じがなくとてもきれいなところでした。
しかし、部屋に行ってみると後ろの扉が開閉しにくくなっていました。地震の影響じゃないかなと思いました。
大 島では、海岸清掃を手伝いました。そのとき一人で横浜から来た私と同じ学年の田中君に出会いました。とてもしっかりしていて、すごいなと思いました。私 は、すぐ海の近くまで行きました。大きなものを撤去した後、海のほうへ行って流れてくるものを集めました。中には、かわいいポーチや財布などが流れてきま した。誰かが使っていたのだなと思いました。いろいろな人から、お話を聞いて人事のように思っていたけれど行って見ると人事ではないなと思いました。
まだ時間がかかると思いますが必ず復興するので早く復興して元の姿に戻ってほしいです。
被災地ボランティアでは、お世話になりました。またの機会にお会いできること願います。今回は、本当に有り難う御座いました。
サマーボランティアキャンプ感想文
中学2年・加藤優希
今回のサマーボランティアキャンプに参加し、現場を見て、津波というのは常識だと思っている普通の生活を全部失ってしまう程の威力で、大変悲惨なものなんだなと、がれきの撤去などをしながら身をもって感じました。
村上さんのお話を伺いながら避難された高台に立ってみると、被災していない私達には決して分かるこの出来ないような体験をされたのではないかと思います。
場所を提供していただいた熊谷さんご夫婦は笑顔の似合う方達で、たくさんの優しい仲間の方々も来ていただいて、本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。
また、大島の民宿の方も津波の体験をお話されていて近所の方を助けたとおっしゃっていました。とっても明るく元気でおもしろい方でまた絶対、民宿海鳳に泊まりに行きたいです。
気仙沼商店街の皆さんと気仙沼の商店街を見てみると、商店街とは思えないくらいの被害を受けていて衝撃をうけました。私の家の近くにも商店街があるのですが、もしも同じ様な体験をしたらすごくショックだと思います。
おそらく、気仙沼の商店街のみなさんはものすごく大きなショックを受けられていると思いました。だから、無力に近いとは思うけど今後も手助けができたらいいなと思いました。
私は本当に本当にサマーボラティアキャンプに参加してよかったと思います。協力、団結することの大切さを学びました。
今回の経験を生かして今後もずっと東北を応援したいです!!またボランティアに行ける機会があったら絶対に行きたいです。今回、出会った方々との縁を大事につなげていけるようにしたいと思いました。
最後に、4日間本当にお世話になりました。ありがとうございました。
サマーボランティアキャンプを終えて
中学3年・岡本佳之
僕は、4日間のSVC(サマーボランティアキャンプ)を通して、二つ印象に残った事があります。
一つは、津波の凄さ、恐ろしさです。
船の先端がえぐれていたり、建物の二階部分だけが飛ばされていたり、実際に現場を見て驚きの連続でした。改めて津波の恐ろしさを肌で感じた気がしました。
もう一つはBBQです。
みんなで昼から準備して夕方に始まったBBQは、楽しくてとても印象に残りました。
僕は、ソーセージを担当していたのですが、何度も焦がしてしまいました。でも、うまく焼けた時、地元の人に食べてもらって、「おいしい」と言ってもらったので、本当に嬉しかったです。でも一番は、被災者の人達に直接何かしてあげられた、ということです。
今、東北は大震災で大変な状態です。でも、もしかしたら他の地域が同じ状態になっていたかもしれません。だから、国民全員が他人事ではないと理解し、協力していくことが大切だと思います。
感想文
高校2年・小池直輝
今回岩手県での体験を通して感じたことは、テレビで見るよりも、現場の状況は、悲惨だということでした。一瞬にして、全てがもっていかれ、未だにその傷跡が残っていることをまざまざと感じました。
ぼくは活動として、ガレキの撤去を行いましたが、ガレキのなかには家であっただろう木材やコンクリート・鉄筋・ガラスなどが多数ありました。いくら撤去しても、なかなかかたづかず、海岸では海から次々とガレキが流れてきました。
ニュースでは、どちらかというと原発のことについての報道にかたよっていますが、現場の状況は原発だけてなく、かたずけても出てくるガレキ、農家にはでかい塩害の問題もあります。
ですが、そのような状況下でも現地の人は、力強く、前向きに進んでいました。人のたくましさ、可能性を感じました。津波の傷跡は、深いものでしたが、きっと人の力で、復興できると信じています。
今回の体験は、自分に大きな影響を与えたと思います。これからは、自分にできることをやっていきといと思います。
被災地のボランティアを終えて
高校2年・中田久美子
倉庫を貸してくださった熊谷さんの畑を清掃八 月二日、私の目の前には今までテレビで見てきた光景があった。山積みになったトイレの便器や割れて散らばった瓦、ボロボロになった木材などが瓦礫の撤去作 業を手伝わせていただいた畑に広がっていた。撤去作業をしているとテレビ出を見ていても決して気付かないような小さな物が沢山でてくる。割れてしまってい るお椀やまだ臭いのするうがい薬を拾った時、本当にここに生活があったのだということを感じ、熊谷さんが「陸前高田は今はこんな風になってしまったけど本 当にいい所だったんです。その陸前高田を皆さんに見て欲しかった。」
とおっしゃっていたことを思い出した。私は、地震が起きてしまうまで陸前高田 という場所を特に知らなく、私の中で陸前高田は東日本大震災の被災地だった。しかし、撤去作業で私が拾いごみとして分別している物は、震災の前から陸前高 田に住んでおられた方々の生活の一部なのだと気付いた。ここについ5か月程前まで人々の暮らしがあったのだと意識すると自分の手にある汚れた食器などが重 い物に感じた。この意識はテレビを見ているだけではきっと持てなかったと思う。映像で見ると、どうしても壊れてしまった家などの大きな建物にばかり意識が いってしまう。それは確かに地震、津波の恐ろしさを横浜にいる私に伝えてくれた。しかし現地に行き、お話を聞き瓦礫撤去をお手伝いさせて頂き、土に埋もれ た小さな生活用品を手にした時の気持ちとは違った。今は瓦礫の山となってしまったこの場所に熊谷さんの様にきっと陸前高田の事が好きだったり、大切に思わ れていた方の生活があったりしたのだと痛感する事は行ってみなければできなかったはずだ。
三月十一日以降、テレビで被災地の映像を見る度に自分に できる事が無いように感じた。しかし、たった4日間しか被災地にいる事はできなかったが、瓦礫の撤去作業をお手伝いし、後ろを見ると確かに最初に来た時よ りは片付いている。たった十七歳の力仕事が得意な訳でもない私に本当にできる事があったのだと感じられた事は大きかった。横浜にいる時は、たった十七歳の 自分…しかしもう十七歳なのに何もできない自分が嫌で、自然の恐ろしさばかりが頭の中に残り、ものすごく人間が弱く感じられた。現地で目の前には津波 の跡があってもご自分の夢を語ってくださった熊谷さんを見て、自然の力は恐ろしく大きいけれど人間だって負けちゃいけないと思った。私一人じゃ何もできな かったけれど沢山の人が集まったら津波の跡を片付けるお手伝いもできたのだ。
今回、サマー・ボランティアに参加させて頂き現地で目の当たりにした 津波の跡は五ヶ月経っても大きく残っていた。けれども千年に一度とも言われる日本での大震災に自分が現地へ行きお手伝いをさせて頂き、自分にもできる事が あると感じられた事を日本人として一生忘れたくない。
ボランティアの感想
大学1年・小林綾菜
8月1日から4日間ボランティアに参加しました。
車 で駅から陸前高田市にまず向かったのですがそれまで騒いでいた小学生たちも被害の光景を見たとたん静かになったことを覚えています。話したとしてもなんだ か強がっているようなそんな雰囲気しかありませんでした。テレビで見ていて知っているつもりでも実際見たときはどう反応して良いかわからなかったです。
他県から来た私たちがこんな気持ちになるのだから、ここを故郷としていた人たちは一体どういう気持ちなのだろうとおもいました。
初めの2日は熊谷さんの家の庭にある壁のないところで寝泊まりしました。ご飯も外で食べました。虫が多かったり、大人数でつめつめで寝たりゆっくりできませんでした。
お風呂に入るために車で移動をして
復興の湯という仮設のお風呂があるところにいきましたが、シャワーも1つしか無いし少ししか水が出ないし時間もありませんでした。トイレももちろん被災者の方たちは毎日ここでお風呂に入るしかないし大勢で寝るしかない期間も短くはなかったと、おもいます。
私達が考える以上の生活を、被災された人たちは送っていたんだと実感しました。
2日熊谷さんのところでお世話になって、離れるときには熊谷さんの奥さんは泣いてくれました。なんだか嬉しかったです。
またボランティアでは何人かの人が被害の状況を詳しく教えてくれました。みなさんそのときの状況を思い出して声を震わせながら話してくれました。
陸前高田市では田中浜で機械が入れないところで流されたものを拾って分別しました。細かい断熱材や発泡スチロールは手でも拾うことが難しいほどたくさんありました。ガラスもあるし、何が埋まっているかんからないので、海水浴の場としていつ使えるかわからないそうです。
被災前の写真を見たら、ほんとうにこの綺麗なところに来たかったとおもいました。
ボランティアに行って思ったのは、被災したところはどこも同じ日本とは思えないほど綺麗で地元の人に愛されているところだったんだということです。海も土地も空気もすごくすごく澄んでいました。この震災があったからこの場所を知ったし、この土地を訪れる機会もありました。
悲しい出来事だけど、私はここを知れてよかったです。同時に絶対に元のように戻ってほしいと思います。
次は自分でチャンスを作って力になりたいです。
東北ボランテイアに参加して
大学3年・中村早紀
【最初に】
①正直に書こうと思う。つい良いことばかりを書いてしまいそうだから。
②被災地で感じたことだけじゃなくて、4日間私が思ったことを全部書こうと思う。
まず、この文を書いているのは8月20日で、そのボランティアから2週間が経っている。
だから、その時の細かいこととか、思ったこととか変わってると思う。
けど、今残ってる記憶、思ってことは今後も思い続けることだと思う。
だから、帰った日に感想文を書かなかった自分を後悔しつつも、
今の思いを大切にしていきたいとも思う。
【1日目】(移動→到着後メンバー顔合わせ→陸前高田の研さん家に到着)
○移動
大阪府高槻市駅に集合。以前からお世話になっている北岡さんと全くの初対面の小林さんと合流した。前日は準備に2時までかかってしまい、朝は始発に乗る為に、4時に起きたので、2人に会うまではかなり朦朧とした意識だった。
2人に会って、目が覚めた。昔から人に会うと目が覚める。皆そうなのだろうか。
と言いつつも、新幹線では爆睡した。
○到着
一 ノ関に到着。街はテレビで流されるような壊滅状態なのかと思っていた。しかし、とても普通の街並みだった。建物は全部しっかり建っていたし、お土産もの だって沢山売っていた。どこか私の故郷の駅を思い出した。制服の女子高生だって歩いていた。学校だってあってて、生活は出来てるんだと思った。
早 めに着いたので、ご飯を食べようということになった。駅の案内所の方に「ここら辺でおいしいところはないですか?」と聞くとかなり困った様子で「全部です ね」と答えられた。店をひいきしてはいけないとか色々あるのかもしれないが、案内所は活発に利用されている感じだ。空いてる店自体は少なくて、ラーメン屋 の「あきちゃん」という店に入った。コーン味噌ラーメンを頼んだ。店主のあきちゃんがコーンは切らしていると普通に言われた。なんか家みたいで笑ってし まった。塩バターラーメンを頼んだ。ちゃんぽんでもそんなに乗らないような野菜が沢山載っていた。
○メンバー顔合わせ
一ノ関でレンタカーに乗る前に、顔合わせをした。分かってはいたが予想以上に子どもが多くてびっくりした。普段子どもと接する機会もないし、私は子供が苦手なので、これからどうしよう…と少し不安に思った。
陸 前高田まで車で移動。それぞれのグループに分かれてとのことだった。これからも一緒に行動するグループだから仲よくなろうと自己紹介をした。とにかく皆を 楽しませようと必死だったが、素直に楽しんでる自分がいて、子どもって思ってるから、変に壁を作るだけで、同じように話せば、私と変わるとこなんて少ない し、むしろしっかりしている子ばかりだった。
まずは陸前高田の避難所にもなっているという学校に行った。そこで、実際にその小学校に山をかき分け て上り、助かったという方の話を聞いた。話してる様子がその日の恐ろしさを物語っていた。その方が話をしている時に写真を撮っている人が沢山いて、私はそ んな野次馬のようなことは失礼なのではないかと思った。だけど、その映像を撮影することで、帰って他の人にも伝えることが出来るし、自分も忘れないでいら れる。自分が野次馬と思っていなければ写真を撮ってもいい気がした。
その方の話を聞いていて、津波が来た時に人間としての野生の判断力が必要だっ たんだなと思った。津波なんて警報があっても本当にひどいものが来たことはない。津波が来て初めて逃げ出しても、間に合わない。中には警報が鳴っているこ とに気付かず、踏切を待っている間に流された人や、ここまで来ないよと教えてくれたおじさん。山に逃げすに、道路から逃げようとして亡くなった方。様々 だった。その方が今生きているのも「自分はどう考えても運がいい」とおっしゃっていた。
その後、泊めて頂ける農家の方の家に行った。研さんという花を栽培してる方の家だった。本当に本当に花が好きなんだなと思った。そして、ついつい作業に集中してしまいがちだったが、研さんや奥さまが少しでも私たちと話すことで元気になること最優先にしたいなと思った。
夜 ごはんはカレーだった。私は一応女として料理を手伝おうと思ったが、主婦の方々のスピード、正確さ、次々にあふれ出すレシピの知識に驚いた。自分の母親 だったら、何も気にしていなかったが、自分も一応20歳で年齢としては成人になっているけれども、同じようなことをしようとした時に分かってはいたが、主 婦って本当にすごいと思った。まだまだ大人になりきれない。だけど、子どものように無邪気にすることで皆を明るく出来る年齢でもない。今自分はなんなんだ ろうと少し思った。そんなことを感じる機会は多々あった。それでポジテイブ人間な私は悩む訳でもなかったが、こういう機会があって自分を客観的に見れてよ かったと思った。カレーはあっという間に出来た。夜ごはんはおいしい魚も頂いた。虫が沢山いて、お皿にも沢山虫が入ってきた。基本的に虫でそこまで騒がな いが、さすがにお皿に虫が入るのは嫌だなと思いつつも、段々「まあいっか」と気にしなくなる自分がいた。
今思うと、あの虫も寒い中寝たことも、お皿に虫が入ったこともなんかいとおしく思う。
陸 前高田。一緒に参加したメンバーは本当に大好きだ。夜は大人の会ということで成人のみでお酒の席に参加させて頂いた。研さんの奥さまとお話させて頂いた が、本当に素敵な方で「研さんのどこがすきですか?」という質問に対して「今は邪魔でしょうがない」と笑いながら答えてくれた。そして、本当に色々あっ た。とおっしゃっていた。
具体的なお話は聞かなかったが、「こうやって皆が笑ってるのを見るのが私は好きなんだ」とおっしゃる奥さまの笑顔はとて も優しかった。そんな風に皆を包み込めるような笑顔の人に私もなりたいなと素直に思ってしまった。私はおしゃべりで口だけだったり、無責任だったりするか ら、何も語らず、でも、姿が語る奥さまはとても素敵だった。
そして大人の会を楽しんだあと、先に抜けさせて頂いて、眠った。
やっぱり大人になりきれないだけど、子どもと言える年でもない自分を物語ってる感じがした。
そしてあっという間に寝た。
【2日目】(研さんの土地の瓦礫徹居、野菜の種まき→地元の子どもたちと交流BBQ)
朝起きて、どこの水で洗うか、火はどうするか、そんな会話が朝食準備に飛び交う。
当 たり前にそんな生活がすべてそろってる生活に感謝するし、こんな言い方は変だが、いちいち存在価値を感じる生活が新鮮で楽しかった。瓦礫の撤去作業はその 人の性格がすごく出ると思った。完璧にきれいにしたい!という願望があり、どんな小さいごみも取り除きたくなる。が、その作業は実はとても大変で、それに 飽きていろんなところにすぐ目移りして、結局どこもきっちりときれいに出来ていない。大きなことを一気にやろうと、全てを奇麗にしたい!と思って取り組む が、飽きる。結局はコツコツと継続して行く人は強いなと痛感した。淡々とこなす子どもたちを見てすごいなと思った。
瓦礫の撤去というのはクレーン で全てとればいいという問題でもなくて、小さいごみは結局人でしかできない。とてつもなく途方に暮れそうな作業。画期的でカンタンにきれいに出来る機械が あればいいのにと思った。技術の矛先はそういうところに向かないもんかと思いながら作業をした。そんな機械ができない限りは私の一番苦手であるが、一番大 切な「コツコツ続けること」が大事である。その為には、無理しないこと、楽しむことが大事だと思った。誰しもボランテイアに行くことは簡単ではない。お金 だってかかるし、時間だって必要、だからこそ、もう一度行きたい!と自分で思えるように無理せずやっていくことが大事だと思った。そして、野菜の種まきも 行った。野菜の種まきは未来への希望の準備をしてる感覚だった。この、瓦礫にみどりが生い茂り、おいしい野菜ができる。それは問題解決には何も根本にはつ ながってないけど、心の支えのような感じがした。
作業の休憩の間にみんなでBBQの時の踊りを披露しようということになった。
かなりあり きたりだが、みんなで同じことにチャレンジしようとすると仲よくなれるなと思った。休憩の間男の子たちが水に石を投げて遊んでいた。注意したが辞めなかっ た。そういう時どうやって注意してやめてもらうのだろうと思った。子どもたちと仲よく少しはなれたが、注意の仕方なんかは難しいと思った。
BBQ の為移動した。子どもって思っている以上に理解しているし、分かっている。BBQの設営に際に、色々と指摘してくれたし、とても助かった。準備の時カメラ 係をさせてもらった。カメラをもつと皆笑ってくれるし、反応してくれる。カメラっていいものだなと思った。し、カメラを撮っていて、楽しかった。BBQが いよいよ時間になった。思った以上の子どもが来てくれた。まるで震災なんか無かったかのように元気だった。
私は思わず、子どもに「今日はお母さん と来たの?」と聞いたら「お母さんはいない」と答えられてしまった。私は言葉に詰まった。4、5歳くらいの子どもだった。この子たちはどれだけこの震災を 理解しているのだろうか。それから気をつけて楽しい話ばかりをすることにした。私たちはつい先ほどきめた踊りを被災地の子供に披露したが、その踊りは最近 のドラマの踊りで、子どもたちの間でとてもはやっているものだ。でも、知っている子どもはほとんどいなかった。テレビもきっと見れないんだろうと思った。 そんなことに配慮できない自分は何をやってるんだろうと思った。
しかし、笑顔の子もおおく、楽しんでくれたので成功だったのではないだろうか。そ の後、後片付けの時に、東京に住んでいるが、両親が陸前高田にいるということで、この会に参加して下さってる女性の方と仲よくなった。年齢の母より少し若 いくらいで、娘は私と同じ歳だそうだ。母ほどの年齢の方と友達として会話したことはなかったが、とても楽しかった。なによりこれだけ世代が離れてても同じ 話題で盛り上がって、友達になれることが嬉しかった。そして、母の立場、気持ちが少し、ほんの少し分かった。
このサマーキャンプの醍醐味は全然年齢も住んでるところも、考えも違うけど、復興に役立ちたい人が集まって、それで、肩書とかすべて関係なく、人間と人間として仲よくなれることだと思う。これからもこの出会いを大切にしたい。とても素敵な会になった。
会 もお開きになり、昨日に引き続き、「復興の湯」という震災以前は祭りの道具を入れていた場所に手作りのお風呂をいれて、つくった銭湯にいった。銭湯といっ ても、扉をあけた瞬間にお風呂があり、外からすぐ見える状態になってしまう質素なものだった。私たちはほんの数日しか入らなかったが、これを毎日続けてい て、私たちみたいなボランテイア6人くらいはいったらだれも入れなくなってしまう。そんな大きさ。私は楽しかったが、このお風呂に入るのが当たり前で日常 なのは女の子にとってすこしつらいかもしれない。
せめて被災地の方の邪魔にならないように入った。
夜また大人の会に参加させてもらった。 その夜は日本について、真剣にさまざまな大人たちが議論を繰り広げていた。私がずっと謎に思っていたことはすこし理解できた。冷静だけど、すごく真剣でア ツく、子どもみたいに勢いのある議論だった。こんな大人が沢山いる日本がなぜよくならないのだろうと真剣に思ってしまった。
【3日目】(陸前高田とお別れ→気仙沼の近くの島多大島に移動)
朝、陸前高田とお別れの時がきた。
この2日で陸前高田が大好きになっていた。
お いしい空気も、良い香りのする花も、優しい人も、ヒグラシの美しい鳴き声も、寝室として使わせて頂いた作業小屋から見える山も全部、全部、全部スキになっ ていた。だからとてもさみしかった。研さんはとても元気で前向きに取り組んで行ってると思ってたが、「もう無理だよ」と嘆いてる場面を3日間で何回か見 た。
私はあるツアーとして、私ではなくて他の方が沢山努力をして、ボランテイアに協力的な方をさがし、という作業を全部やってくれている完成系の ボランテイアに参加させてもらっている印象が最初はあったが、やはりそういった中で現実を感じる機会が何回かあった。どれだけ研さんや奥さまを元気にでき たか分からない。が、最後におっしゃってたようにいつか来た時に一面チューリップ畑になっていればいいなと思う。
移動して、気仙沼の近くの大島ところに移動してホテルに行った。ホテルでは到着してまずおにぎりを頂いた。
しっ かりした家で、座って食べるおにぎりは久々だった。その後ホテルの人の津波の体験についてお話してもらった。「津波は見た人によって全然違う」というお話 を聞いてびっくりした。また、お年寄りの方はなかなか津波が来ていることを信じなかったという。まず、どれだけ大変な状況なのか、自分で理解している人が 生き残れたようだ。
当たり前に沢山人が死んだこと。当たり前に船が陸に乗り上げていること。ニュースで聞いていたし、知っていた。けど、一個人か らその経験を聞くと生々しく、でもいまだに理解できないし、信じられない。でも、島の方にとって津波や、今の状況は本当に当たり前のことになっているとい う。そして受け入れている人も多くいて、色々あったと思うがお話してくださった方もとても元気な方だった。震災から4カ月がたっているのだ。
全て 現地に行かないと分からないことだったと思う。そのあと、海岸清掃をした。海岸に行くと沢山のごみのこまごましたごみがあり、掃除しても掃除しても波が来 てしまうという。途方に暮れるような作業だ。分別も難しく、私が分別すべきと思いこ込作業を進めていたものはほとんど燃えるごみにだいしてよいもので、 しっかり確認すべきだったと反省した。そして、地元で清掃をされてる方とお話した。
今まではプログラムとしてツアーでその日のことを教えて頂くというかたちの方とお会いしてきたが、まったく関係ない方が、震災の話、津波の話はどこまでお話を聞いてよいのか分からず、何も聞けなかった。
夜はホテルに戻り久々の室内でのお風呂。とても気持ちがよかった。そして、最後の夜の宴会が始まった。司会、進行を任せて頂いていたのに、全然出来ず申しわけなかった。そして、みんなのステキなお話を聞けて楽しかった。
その日何を話したのかなぜか思い出ぜない。でも、本当に本当に楽しかった。さらに大人の方たちとお酒を飲みながらお話をした。お話をして、私が次の時代を担っていくのに、何も知らないこと、そして、その自覚がないこと、もっとその意識をひろめなきゃいけないと思った。
私は正直、このまま私たちが大人になっても頭いい人がなんとか国を引っ張ってくれるし、その状況になったらなったで、みんな対応していくと思った。しかし、このかなりのマイナスからの日本はそんなのでは良くならないし、その考えは間違っていると気付いた。
そして、なんか泣きそうになった。
【4日目】(大島出発→気仙沼)
朝起きて、いよいよ大島にもさよならした。船に乗って帰った。
大人の方にいままでの感謝状を書いて渡した。かなりギリギリ、かつぐだぐだになってしまった。こういうとこしっかり出来ない私。でも個人的には子どもたちとのとてもいい思い出になった。
気仙沼の避難所を訪れた。その避難所はリーダーの対応ですべての人々が助かり、とても上手く行っているところだった。リーダーの方はかなりお年をとられているおじいちゃんだったが、とても責任感があり、とても明るく元気だった。
あるルールを作っていたという。
1、相手は恨まない。思っても言わない。全て自分のせいだと思う
∟避難所で生活すると段々相手に対してイライラしてくることも多くあるみたいだが、
2、みんなで一斉に頂きますをしてご飯を食べる
∟どんな状況でもご飯や他のことにも感謝すること
3、外に行くときは2人以上
∟何か会ったとき1方が助けれるから。
とても素晴らしいリーダーたと思った。あきらめさえしなければどんなことでも乗り越えれるんだなと思った。
未 来の気仙沼について話す声、顔がとても生き生きしていた。実際に後で避難所の方にお話を聞くとリアルにそのことが伝わってきた。私はここで初めて、自分か ら被災者の方のところに行って、お話を聞きに行った。まず気になっていた義捐金のことを聞いた。義捐金は全然届いていないという。そしてあまりに届かなか ら、避難所ではお金の話は禁句のような雰囲気になっているらしい。そして、政府やマスコミは家を早く作ろうという話になっているらしいが、まずは家があっ ても仕事がないと意味がないからまずは仕事がほしいということをおっしゃっていた。
最後に、被災地では、親族を無くした方が優先という考えになっ ているらしく、親族を亡くした方よりも先に並んでいたりすると、とても変な目で見られるという。親族を亡くされた方は、それはもちろんつらいと思うが、そ れ以外に大変な方だって沢山いる。初めて自分から聞いた被災地のお話。とても心に残った。自分で現地に行って自分から聞いていかないと何も分からない。そ う思った。
最後に気仙沼の未だに瓦礫だらけの街をみて、見慣れて、何も思わない自分がいた。ぞっとした。この街から、希望だけをもって立て直していく。人間のエネルギーってすごい。
そして、みんなとの、東北とのさよならの時間が近づいていた。最後車の中では思いっきりしゃべっておもいっきり笑った。
この3日が全て楽しかった。
一 ノ関に着きお土産をバタバタ買って、改札で切符探して、死ぬほど走って新幹線に乗った。新幹線では思いっきり中3の子と大学1年生の子と恋バナをして帰っ た。恋愛に年齢なんで関係ない(笑)中3の子には思いっきり指摘をされてばかりだった。恋バナって女子はとても仲よくなれるし、死ぬほど盛り上がるなぁと 思った。
さらに東京でみんなと分かれて、北岡さんと小林さん3人で帰った。漫画の話、大学の話、ゆとり教育の話たくさんした。実は、新幹線ではなくて夜行バスで行けばもっと北岡さんにも迷惑をかけずに行けたので、1人夜行バスでいけばよかったとか思っていたが、
この3人で新幹線で行けてよかった。この3人で電車にのって帰れてよかった。
最後に北岡さんにUNIQROによってズボンを買ってもらった。私が途中気仙沼でズボンに醤油をたらしてしまったからだ。今ではこの買ってもらったズボンは毎日のようにはいている。
そのUNIQROで北岡さんが店員さんに「東北にボランテイアに行ってきたんですよ」と言った時、少し胸を張ってて、うれしそうで、私も嬉しくなった。
【まとめ】
だらだら書いてしまったが、大きくこの旅を終えて私が感じていること
1、ボランテイアは楽しくたっていい!!
∟私は行く前は他の人との交流とかではなくて、とにかく少しでも早い復興にむけて瓦礫の撤去をすることそれがボランテイアのイメージだった。しかし、こ うやっていって楽しんで、地域の人にも楽しんでもらって陸前高田が自然が豊かだった、気仙沼は魚がおいしいところだった、大島にはイケメンがいることだっ た(笑)そんなことを知って帰って伝えるだけもよさを広めるだけでも少しは役に立っている。だから、状況によるが、被災地に行って楽しんだことに罪悪感を 感じることなってちっともない。私はそういうことは何しにボランテイアに行くんだと行く前の自分だったら思っていたが、「被災地を知りに、元気を届けに 行った」と胸を張って今言うことができる。
2、復興は一気にできない、少しずつコツコツするしかない
∟自分が行くことで、陸全高田が、大島がきれいになったのかは分からないが、そういう目に見えない実感できないことを続けることでしかここはきれいにならないと思った。
3、本当に知りたいなら自分に行って自分で聞く、自分で行って自分でやってみる
∟被災地の全然知らない方に、震災の時のこと、避難所のことを聞くのはとても勇気がいる。どこまで聞いていいのか分からない。だけど、私の場合自分で聞いて震災のことを感じることが出来たと思う。
4、親子って特別なもの
∟親子連れで教育の為に来ている方が沢山いらっしゃった。私は子どもと友達になって沢山話したし、大人の方ともお話をした。年齢のため今まで子どもしか 考えられなかったが、親の気持ちも少しだけ分かった。そして、親は子供に対して人一倍愛情を持ってることを4日の端々で感じた。とてもうらやましかった し、自分にもそういうお父さん、お母さんがいることを嬉しくおもった。今まで親孝行とか出来なかったけど、家に帰ってから、お母さんに「ありがとう」と メールを送ってみた。返信で、いつもは素直に話さないが私がどれだけ大切が教えてくれた。照れくさく、とてもうれしかった。他の親子をみて、自分の母、父 に感謝できるようになったステキなキャンプだった。
5、「人」として出会うって楽しい
∟今回の合宿で、小学生から母の年齢まで様々な年齢の友達ができた。今までそんな年齢の人と友達になってことなかったが、意外と年齢なんて関係ない。壁を勝手に作ってるだけで、みんなそんなこと気にしなかったら仲よくだってなれる。
6、子どもって大人
∟子どもって、ほとんどのことを分かってる。だけどついついちっちゃいといろいろやってあげたくなっちゃって。子どもができることでも自ら手伝ってあげ てしまった。 今冷静になって考えると、できることをうばっちゃうと出来なくなるし、私が1人で「やってあげた」という充実感に浸ってしまうだけだと 思う。自分がもし親になったら、子どもにさせるように気をつけようと思った。
7、日本のことを知らない日本人
∟ここに行って日本を全 然しらないと思った。私たちの世代がなんとか日本を変えないとと思った時に日本についてまず知らない自分がいたし、別にそのことを自覚したこともなかった し、恥ずかしくもなかった。そのこと気付かせてくれた大人たちに感謝。青年塾はその人の為を思って、全然この前まで他人だった人でも注意してくれる。とて も素敵な環境。
【最後に。】
この感想文は読みづらいし、自分の思いを吐き出すための、第三者からは何を書いているか分からに文章になってしまった。
申し訳ないです。
東北で私たちに逆に元気を下さったみなさん、渋谷さんはじめ、この素晴らしいサマーキャンプを企画して下さったみなさん、場を明るくしてくださった子どもたち、本当に本当にありがとうございました。
私はこの4日間を思いだすと、気持ちがとても温かくなります。
とてもとてもとてもとてもとてもとても楽しかった。
有難うございました。
サマーボランティアキャンプを終えて
元青年海外協力隊/都留文科大学4年・近藤陽介
まず今回のボランティアキャンプをコーディネートしてくださった渋谷様をはじめとする青年塾の皆様、並びに現地で受け入れてくださった陸前高田、気仙沼、大島の皆様に感謝申し上げます。
本当に貴重な経験をさせていただいた4日間でした。そのすべてをここに書くのは難しいので1つだけ書かせていただきます。
私が今回のキャンプを通じて1番感じたことは、やはりまずは”自分自身の生活をピシッとしなければいけない”ということでした。
実 はこれはアフリカで9カ月間青年海外協力隊として活動し任期満了で帰国した際に感じたこととまったく一緒です。任期中、教え子や知り合いその家族が次々に 亡くなっていきました。よく遊びに行っていたHIV孤児院では1日に1回ほんの少しの量の豆と芋しか子どもたちは食べることができていませんでした。しか し彼らは不幸なのかというとそうではないとすぐに気づかされます。勉強している時の目の輝き、未来への想い、昨日より素晴らしい今日を、今日よりも素晴ら しい明日を、と向上心を持って全力で生きているのがわかるからです。
一方の自分はどうだったか。日本という物質的に恵まれた環境にいながら不平不 満を口にし、大学では授業中寝て野球のために体力を温存、奨学金を使って夜はお酒を飲んで騒ぎ近所に迷惑をかける。恥ずかしながら感謝の気持ちのかけらも ないような生き方をしていました。そんな気持ちが彼らと出逢って変わっていき、日本に戻っても彼らに対して恥ずかしくない生き方をしようと決意しました。
そ の決意の帰国から約2年、今回の大震災、遠いアフリカではなく同じ日本の中での出来事。そしてこのサマーボランティアキャンプ。どれだけ辛い思いをされて いるのかと思いながら参加しましたが、被災地で出会った村上さん、熊谷さんらの姿はとても前向きで力強く感じられ逆に勇気をいただきました。
家を 失い、土地を滅茶苦茶にされ、何よりも多くの大切な人を失った人たちが懸命に前を向いて未来のために頑張っている。環境的に恵まれている私はもっと頑張ら なくてはと思いました。そういったことに改めて気づくことができて本当に良かったと思います。久しぶりの寝袋での生活、やんちゃな子どもたちとの生活も最 高でした!
また皆さんにお会いできればと思っております!本当にありがとうございました!
サマーボランティアキャンプを終えて
石川一機
子供たちを交えて被災地にて行われたサマーボランティアに参加した。
被災地の姿は子供たちにはどう映ったのかな?
震災直後に比べいくら瓦礫が片付いたといっても破壊しつくされたその姿、
被災された方々のお話、不自由な避難生活を強いられなければならない現実。
初めて目にし、聞く者にとって大人でも衝撃的であるし想像を絶するし
ましてや子供の感受性を持ってしたらなおさらだ。
そんな子供たちと二泊三日という短い間に一緒行動し、また
傍らから見させて頂いて非常に面白く、興味深かった。
5年、10年後にサマーボランティアの話を是非してみたい。
サマーボランティアキャンプに参加させて頂いた感想
岡本佳久
この度は、息子共々、本当に良い経験をさせて頂きまして心より感謝申し上げます。
私にとっては、今回が始めての被災地入りでした。
震災から5ヶ月経った今も尚、その余りに痛ましい状況を目の当たりにした時は、正直、なんとも言えない虚無感が胸に広がりました。地元の方々にとっては、いかばかりかと思いました。
ですが、現地でお目に掛かった方々の前向きなお姿を拝見し、安堵すると共に、逆に勇気を頂き、いつしか元気付けられておりました。
しかしながら、復興までの道のりは長く険しいのだということもまた、ボランティア活動を通じて肌で感じました。
街の復興と合わせて、これからの長丁場、被災地の方々の心の支えとなるような活動も同時に大切だと感じました。
そういった意味で、今回のサマーボランティアキャンプでは、大勢の子供達が参加していましたので、お世話役の方々のご苦労は察するに余りありますが、より意味のある素晴らしいものになったのではないかと感じております。
何よりも子供達が、一生懸命働いている姿は、被災地の方々にとって、とても勇気付けられ、大いに心の慰めになったのではないかと思います。また、一緒に参加していた大人にとっても、子供達が居ることで、場が和み、より活気付いたように思います。
子供達本人にとっても、色々な気づき学びがあり、得がたい経験になったであろうと思います。ですから、このようなボランティア活動を企画された青年塾の方々は、本当素晴らしいと思います。
地元の方々との信頼関係をしっかりと築かれた上で、きちんと地に足がついた活動を継続して、実行されていらっしゃるからこそ、生れた企画ではないかと思います。
今回のようなボランティア活動がより多くの方に認知され、広く行なわれるようになれば、被災者の方々の勇気付けにも、ボランティア活動に躊躇している大人たちの動機付けにも、なにより子供達の貴重な学びにも、とても良いのではないかと思いました。
最後に、毎朝拝見している上甲塾長のメルマガから、今回思いもよらぬご縁を頂き、このような貴重な経験をさせて頂いたことに心から感謝を致しております。参加されておられた皆様のお陰で、私にとって本当に得がたい、学びや気付きがありました。
これを今後の人生に生かしていけるよう頑張っていきたいと思っております。
また、いつか皆様にお目にかかれる事を願っております。
そして、なによりも今回お世話になった被災地の方々はじめ、すべての被災者の方が、一日も早く心穏やかな生活を取り戻される事を衷心より願っております。
初めてのボランティア活動
川又和幸
今回の陸前高田市でのボランティア活動は自分の子供たちにいくらかでも今の日本の現状と体験でしか知れ得ないことを学んでほしいと思い応募したしだいでした。
中 学生以上という枠組みでしたが、渋谷さんのご好意により参加の許可を頂き本当に感謝しています。今回のSVCの参加された皆様には本当に息子の大知共々お 世話になりました。上甲塾長も常々言っている「知っている人間ではダメだ!できる人にならなくてはいけない!」と。今まで私もテレビの中では被災地は知っ ていましたが、ボランティア活動に行ってみると、本当の被災地の現状が自分の目を通して解りました。
それと、今回のSVCの参加の皆さんも素晴しい人たちでまた私たちも素晴しいご縁をいただきました。このような素晴しい志を持った皆さんと一緒に過ごせたのも本当に有難く思います。
また次回、何らかの形でお会いできたらと思っています。
まだまだ被災地の復興には時間がかかります。今後もできる限りこの素晴しい日本の為、ましてや未来を担う素晴しい子供たちのため最大限の努力を惜しまなく使いたいと思います。
このたびのSVCを段取りしていただいた皆様、本当にありがとうございました。
感謝!!
サマー・ボランティア・キャンプに参加して
上甲健
この度は、サマー・ボランティア・キャンプに参加させていただきまして本当にありがとう御座いました。大変貴重な得がたい経験が出来たと私自身が思っておりますとともに、子供たちにも大変良い経験であったと思います。
私 自身は、これまで海洋の地形、地質を調査してきましたことから、おそらく日本中どこに住んでいようと誰もが今回の震災と同様の自然災害にあう可能性がある と思っております。そう考えたとき、果たして今回のような災害が起こったとき、子供たちが自らの命を守ることが出来るのかということに疑問を感じました。 それとともに、普段の生活においても子供にあえて不便な生活を体験するようなことを避けてきた現状を思い、非常に危機感を覚えました。また、子供にとって も幾多の報道等により、震災の壮絶な状況を頭で理解してはいたでしょうし、実際大阪の子供たちも被災地に何か出来ることはないかという思いを持っているこ とも聞いておりました。しかし、何をしていいのか、何をすべきなのかはわからないというのが現実だと思いました。そんな中で今回の機会を頂き、子供たちの 思いをもし具体的に伝えることが出来るとすれば、実際に行動を起こすことが一番ではないかと思い参加させていただきました。
到着しました当日、 ベースキャンプまでの道のりを経た後、下の子の様子が急におかしくなりひどく寒がった時は、普段から少し雰囲気や状況に敏感な子であるため、このまま参加 し続けられるか心配しましたが、皆様のご協力もあり夜には落ち着きましたので、安心いたしました。その節はご迷惑・ご心配をおかけしまして申し訳御座いま せんでした。中田さんの奥様を始め、高嶋さん、SVCスタッフの皆様に暖かく対処いただきましたことは、本当にありがたく、改めて感謝申し上げます。
作 業をお手伝いしたことについては、熊谷さんの畑より出てくるおそらく3月11日にまで普通に生活してたであろう生活品や図書館での貸し出しカードなどを見 つけては、この人たちは無事だったのかを心配しており、子供なりに今回の出来事を深く感じているのだということを知ることが出来ました(ただ、麻雀牌を 持って帰ると言われたときは、さすがにびっくりしましたが)。また海岸清掃の際は、打ち上げられた瓦礫を撤去している先から波が打ち寄せる度に新たに漂着 する瓦礫に、きりがないという思いを抱いたようですが、それとともに被害に大きさやこれを撤去し復興を目指されている方々の苦労についても感じたようでし た。
子供たちは、戻りましてからも今回自分で経験しましたことを毎日のように話しております。特に、『マルモのおきて』の歌と踊りをみんなでする ことが出来た点と、年齢幅のちがうたくさんの仲間でき、その仲間とともに行動できたことが印象に強く残ったようで、親戚や友達によく話しているようです。
私 などは、どうしても津波の被害の甚大さや、復興・復旧へ向けてのご苦労など、どうしても大変さのほうに向きがちですが、子供も子供なりにその状況を感じつ つも、集まるとすぐに打ち解けあい、楽しく前向きに行動できることに改めて感じました。地元の子供たちとはしっかりと触れ合うまでの時間はなかったです が、それでも数人とはいえ、一緒に踊りを踊れたこと大きな思い出のひとつとなったようです。
また、心配しておりました熊谷さん宅の小屋での生活も苦もなく(上の子はトイレだけはだめだったようですが、それ以外はとても楽しかったようです)過ごせたようです。ただ、布団で眠ることが出来た最終日はより一層布団のありがたさを感じられたようですが。
私 自身は、今の生活においてあたりまえに暮らしている現状が、ある意味危険をはらんでいることであり、またひとつ歯車が狂えばいつでもその当たり前な暮らし が成り立たないということを今回の震災で痛感し、また現地においてその状況を確認させていただき本当に恐ろしく思いました。ただ、陸前高田の復興の湯で聞 いた現地の人の話も忘れられず、日本というどこに住んでいても、いつであろうとも襲われる可能性のある地震や津波に対して、あまりにも人間が制御可能であ ると過信していたのではないかと思ってしまいました。日本人は、おそらく幾多の自然災害にあいながらそれでも自然に敬意を払いつつ生きてきたはずで、おそ らく過去の経験も教訓として伝えてきたと思われるのですが、現在本当に生かされているか疑問を持ったのも事実です。本当に海に近い低い場所に多数の人間が 生活の拠点を置いているのが現状で、私達が住んでいる町を考えてみても本当に危険がいっぱいであると考えさせられました。特に大阪の平地は、400年ほど 前まではほとんど海でありこれが徐々に埋められて今の広大な都市となっています。おそらく大阪で津波被害が最も大きくなると想定される断層は、大阪湾断層 帯ではないかと思いますが、この断層は1~1.5万年周期と考えられており、そうなると記録にも残っていないまったく知られていない想定外のこととなって しまいます。
これらのことを考えると、本当に今後に向けての課題は山積であることを思わされました。
ただ、このたびのSVCにおいて、子 供たちの様子を見ていて、本当に子供がいるということが直接未来・将来を感じられることであり、子供の存在が勇気と希望になるという思いを強く持ちまし た。その場の状況に上手に対応し、自然と仲良くなり、明るく行動できることは周囲をも元気にさせる大いなる力であると思います。
そのことを実感できたことは、大変良かったと思っておりますとともに、子供がいるということを本当にうれしく思いました。
このような経験が出来ましたのも、受け入れてくださいました現地の方々のおかげであり、本当に大変な折まったくお役に立つことが出来ず、かえってご迷惑であったのではないかと、今でも心苦しく思っております。
また、これだけの人数が安全に無事過ごすことが出来ましたのも、事前準備や現地での対応を含めた渋谷さんを始めとするSVCスタッフの方々のご尽力の賜物であると感謝いたしております。
本当にありがとう御座いました。
今回の経験は、私自身ももちろんですが、何より子供たちの意識が大きく変わるきっかけになるのではないかと思っております。自分で行動を起こす大切さや、人に対する思いやり等を感じて育っていってくれることを大いに期待しております。
サマーボランティアキャンプを終えて
高嶋みゆき
ま ず初めに、遅くなりましたが4日間、本当にお疲れ様でした。私自身はこれまでにも何度か被災地を訪れ、瓦礫撤去などの活動をさせて頂きましたが、小・中・ 高・大学生の子どもさんと一緒にというのは初めてのことでした。そして医療担当という役割。子どもさんのみの参加もあったため、ケガや事故があっては送り 出して下さったご家族の方に申し訳ないと思う気持ちが強くありました。参加されたみなさんの声掛けや見守りのおかげで、大きなケガや事故なく無事に4日間 のキャンプが終了したことを本当に嬉しく思っています。
次に今回参加させて頂いた感想を二点記したいと思います。
一点目は、これまでになかった大きな気付きがありました。それは子どもの持つパワーです。私たちが宿泊させて頂いた熊谷さん宅の周囲には、まだまだ瓦礫も多くありました。
作 業小屋の側壁はなく屋根の上にも木々があるなど、津波の被害を受けられたことは一目瞭然。それでもそこには子どもたちの元気な声とみんなのキラキラした笑 顔がいっぱいありました。私自身のこれまでの活動を振り返ってみても、ここまで笑顔が溢れていたことはなかったように思います。子どもたちが居たからこ そ、そこに居るみんなが自然と笑顔になり、穏やかな温かい空間が出来ていたのだと思います。4日間を通して、子どもの笑顔や元気にはすごいパワーがあるん だなと気付かされました。
また初めは遠慮がちだった子ども同士もいつの間にか打ち解け、数時間前に出会ったとは思えない程仲良くなっていました。 その中で中学・高校生は小学生の、大学生は子どもたち全体のお姉さん・お兄さんというように自然に役割ができ、お互いに声を掛け合い支え合う姿がとても印 象に残っています。私自身もまだまだ人生勉強中の身ではありますが、最近の若者は”指示待ち人間”が多いというのを耳にしたことがあります。社会に出てま だ数年の私ですが、後輩たちの中にも実際そのような傾向を感じたこともありました。今回のキャンプでは自ら動く学生の姿勢がとても嬉しく感じました。そし て私自身もそんな学生の姿や子どもたちの笑顔にたくさんの刺激と笑顔をもらい、とても楽しく過ごせたことを嬉しく思うと共に、みなさんへの感謝の気持ちで いっぱいです。
二点目は、これまでの活動以上に被災地ではまだまだ人の手が必要で、継続的な支援が必要なんだということを改めて感じました。
私 は今回の活動で初めて大島に渡りました。海岸には流木や錆びたアルミ、断熱材などのゴミとされるものが多く漂着していました。それらを拾い集めている間に も波の上には新たに流木や断熱材が浮かんでいました。集めても集めても、きっとこの先何年かは今回の津波でさらわれたものが海岸に打ち上げられるのだと思 います。この海岸が元の美しい海岸に戻るにはこれからも根気よく清掃していく必要があると感じました。
みんなが同じ目標を持ちその目標に向かって 共に活動することで、自分自身もその場の変化を感じられると共に少しでも被災者の方の力になれるのではないかと思っています。5月にお手伝いさせて頂いた 石巻市の水産加工場に先月7月再度行かせて頂き、それを実感しました。一人の力は小さくても、一回の活動でできることはほんのわずかでそれが被災地のほん の一部だったとしても、それをみんなでやること、継続してやることで大きな力となり大きな変化をもたらします。
被災地は私たちが今回お世話になっ た陸前高田や大島だけではありません。それは今回の大震災の被災地のほんの一部だということを忘れてはいけないと思っています。だからこそ一人の小さな力 をみんなの力と合わせて大きな力とし、継続的にお手伝いさせて頂きたいと思っています。
最後になりましたが、私にとって今回のキャンプが楽しく気 付き多いものとなったのは、キャンプを実行するにあたり早くから綿密な計画を立て準備して下さった関係者の皆様、まだまだ未熟な私をお世話役として温かく 迎え入れて下さった参加者の皆様、そして何よりも陸前高田や気仙沼、大島でお世話になった被災地の方々の温かお心遣いがあったからだと思っています。皆様 本当にありがとうございました。
サマーボランティアキャンプ感想文
高瀬慎一
今回、業務都合 で変則的な参加スケジュールとなってしまいましたが陸前高田でのBBQに何とか間に合い、多数のご家族に参加いただけたことを現場で体験できたことが一番 の思い出です。「地元の子供達が津波で被災して元気がなくなっているから元気付けてあげたい」と熊谷研さんから依頼を受けてこうして実現できたことは皆様 のご支援・ご協力の賜物であると感謝しています。一過性のイベントではありますが、子供達がSVCにたくさん参加してくれたことで雰囲気が和んであの時間 だけは辛いことを忘れて楽しんで元気になってもらえたと思います。
東北の夏は終わりを告げ、秋めいてきましたがすぐに冬がやってきます。ボラン ティアの人数は激減することが予想されます。大震災から半年が過ぎようとしていますが現地を見続けている自分としては復興どころか復旧もままならない現実 を痛感しています。せめて自分だけは、決して諦めずできる範囲で被災地支援活動を今後も継続していきたいと改めて決意しました。
大島で会った横浜から来た田中君にはたくさんの勇気と感動をいただきました。まだまだ日本は捨てたものじゃない!このような若者がいる限り明るい未来は必ずあるはずと感銘を受けました。
仙台に転勤して1年弱で大震災を体験したのも何かのご縁、必ず意味があるはずと信じて被災地に近いという地の利を活かして”寄り添って、押し付けず、諦めず、無理をせず”をモットーに支援活動と現地情報発信を継続していきます。
負けないぞ東北!!
ボランティアサマーキャンプに参加して
高津令子
サマーボランティアキャンプのちょうど3カ月前、ゴールデンウィーク前半に、震災後初めて、気仙沼と陸前高田を訪れました。志ネットワークや青年塾の関連で集まったメンバー約40人で、被災地支援として、瓦礫撤去や、避難所でのマッサージなどをやらせていただきました。
その際に、初めて熊谷研さんにお会いしました。この時のご縁がきっかけとなって、今回、陸前高田で、サマーボランティアキャンプを実施できることになりました。
5月初めに陸前高田で目にしたのは、言葉を失う光景ばかりでした。
今回作業させていただいた熊谷さんのお宅の周囲や畑も、瓦礫だらけ。15名程で、3時間~4時間程、畑の瓦礫撤去をしましたが、20㎡も片付けられなかったと思います。どこから手をつけていいのかわかりませんでした。
車、 家電製品、衣類、食器、漁船、魚網、書類、写真、おもちゃ、靴、自転車。もう何もかもがゴチャゴチャに絡まり合って、堆積していました。原型を留めず、何 であったかすらわからない物たちも、そこら中に散乱していました。自分なりに頑張って片付けをやってみたものの、無力感を感じずにはいられませんでした。
そして、再び、8月1日に陸前高田へ・・・。
最初に街(かつて街だった場所)に入った印象は、前回とかなり違っていました。瓦礫の撤去作業が、大幅に進んでいることが、ひと目見ただけでわかりました。災害支援で派遣されていた自衛隊の部隊もすでにいなくなっていました。
瓦礫撤去が進んだ分、街中が、文字どおり「がらん」としていました。生活していた痕跡がなくなってしまったからかもしれませんが、瓦礫が無くなり、海岸線まで見渡せるようになっている状況に、寂しい気持ちがこみ上げてきました。
村上一憲さん(青年塾10期生)は、今回、陸前高田で被災し、自宅もお仕事場(畑)も失いました。自宅は、陸前高田のメインストリートの近くでした。3カ月を過ぎた今も、自宅があった場所に住めるのか、移転しなくてはならないのか、行政の判断が出ていないとのことでした。
瓦礫撤去が終わったとしても、それはまた復興のスタート地点でしかない。そう思いました。
今回、サマーボランティアキャンプは、仕事の都合で、2日間のみの参加となりました。事前の準備を含めて、食材の手配と調理関連を担当しました。制約ある状況の中でしたが、皆さんのご協力とご理解を頂き、無事、食事を作ることができました。
私 は下見には行っていなかったので、衛生面、調理環境などが現地に行くまで本当に心配でした。特に、夏になってからは、食中毒を媒介するイエバエが大量発生 しているというニュースを読んで、増々不安が募りました。幸い、調理中に、大量のハエに悩まされるようかことはなくて、本当に安堵しました。
実際の調理の際には、特にカレー作りに少年・少女たちが、積極的に参加してくれました。長谷川芳見さん、祐希さん、そして、中田詠子さんには全面的にサポートしていただき、本当に助かりました。
5月には、ゆっくりお話しする時間もなかったのですが、今回は、2日間の滞在中、熊谷さんを始め、高田の方たちから、震災のときのこと、その後のことをお聞きする時間もありました。衝撃的なお話や、生々しいエピソードもたくさん聞きました。
助かった方たちも、それぞれに、苦難と困難を抱えて、それでも、前向きに日々を過ごしていらっしゃることを改めて知ることができました。
この後、3カ月経ったら、半年経ったら、どんな風に陸前高田は変わっていくのでしょうか。1年後はどうでしょう?再び、伺って、それをこの目で確かめたいと思っています。
来 年の夏、青年塾のサマーセミナーを、陸前高田及び気仙沼で実施する計画があります。サマーセミナーは、夏期期間に、青年塾の現役生5クラスが一堂に会し て、研修を行います。青年塾の記念すべき15周年の年に、サマーセミナーを陸前高田と気仙沼で行えることは、とても意義深いことになるだろうと思います。 現役生のみならず、OB塾生、志ネットワーク会員の皆さん、ご縁のある皆さんのご協力のもと、準備を進めていきたいと思います。機会があれば、ぜひ、来年 のサマーセミナーにもご参加ください。
1回だけでなく、人数は少なくても、ずっと継続して行う。最低でも1年は続ける。
志ネットワーク及び青年塾での東北被災地支援は、そんなスタンスで続けていく予定です。
ご参加された皆さまに、感謝しつつ、これからもご縁が続くことを願っています。
ありがとうございました。
サマーボランティアキャンプに参加させていただいた感想
はせがわいさお
皆様と時間を共にしました時から、あっという間に三週間が過ぎようとしています。
私たち、はせがわファミリー三人は、被災地の子供達に紙芝居を届ける活動(スターリィマン紙芝居プロジェクト)のために、7/31~8/5の日程を組みました中、上甲先生から渋谷さんとのご縁を頂きサマーキャンプに参加させて頂くことになりました。
そ の間、皆様と寝起き食事を共にし、地元の方々との交流はかけがえのない財産となりました。特に震災当日からの日々のお話は遠く離れた地で体験した私たちに も深く強く心に刻みこまれました。これからも私たちで出来る事で永く深く寄り添いふるさとを思う心を共有していけましたら、と新ためて考える貴重な時間を 頂きました。またいつか皆様と共に、被災地の方々のお役に立てる時間を持てます事を心から願っております。
サマーボランティアキャンプに参加させていただいた感想
はせがわ芳見
皆様、大変お世話になり、誠にありがとうございました。
私たち家族は、被災地の子供たちに、スターリィマン紙芝居を贈る活動をする7/31~8/5の日程の中で、私たちの活動でご一緒させてきましたのは、8/2の陸前高田でのお楽しみ会と、8/4日の気仙沼大島の仮設住宅で紙芝居をご覧頂きました。
サ マーボランティアキャンプにご参加の皆様のおもてなしの温かい気持ちと、陸前高田のお集まりになれれた皆様の喜んでくださった笑顔と、本当にあったかい気 持ちがひとつになって交流できた、素敵な時間でした。サマーボランティアキャンプに参加されて皆さんが、小学生~大学生と大人の皆様ということも、大変良 かったと思いました。みんなが家族のように、お互いを思いやりいたわり合いながら、それぞれが出来ることを精一杯がんばれたこと。気づきから学び、そし て、世代をこえて成長出来たように思いました。
相手の気持ちになってつながる温かい心こそ、大切な未来を創って行くことと、強く思います。被災地 とか、支援とかを越えて、みんなが一つの心になって、同じ幸せの未来に生きて行けるように、こらからも、サマーボランティアキャンプに参加された皆様、こ の期間にご縁を頂きました皆様、どうぞよろしくお願い致します。
サマーボランティアキャンプに参加させていただいた感想
はせがわ祐希
皆様、SVCでは大変お世話になりまして、誠にありがとうございました。
3 月11日の震災後、被災地の方々が体験された地震や津波の恐怖。大切なものを失った深い悲しみ。様々な困難を乗り越えなければならない不安や絶望。被災地 の方々の苦しみがどれ程のものなのか、全く想像する事も出来ず、何かをする事も出来ず、もどかしい、ふがいない思いでいっぱいでした。
そんな葛藤の続く中、この度のSVCの4日間を通して、全国からお集りになられた参加者の皆様と共に実際に被災地の方々とふれあう機会をいただき、たくさんの事を感じ、学ばせていただきました。
今 回、陸前高田市や気仙沼大島でお会いしたすべての方々の姿や、大いなる自然の姿から「生きる」とは何なのか、「命」とは何なのか、自分の目で観て、耳で聞 いて、肌で感じた事は、何にも代え難い大事な経験となりました。一瞬一瞬の出来事をひとつひとつ思い出すと、楽しかった、嬉しかった事ばかりで、皆様方の 笑顔、やさしさ、思いやり心が私の心の中できらきらと輝きを放っています。復興再生への道は、とても長く険しい道のりですが、必ず素晴らしい未来が訪れ る!そう信じさせてくださいました、皆様に心より深く感謝申し上げます!
同じ日本の空の下、皆様と共に生きられる喜びや幸せを胸に、またいつかご一緒に陸前高田や気仙沼大島を訪れる日を心待ちにしております。それまで、どうか皆様お元気で!笑顔でお過ごしくださいます事を、毎日お祈りいたしております。
被災地でのボランティアを終え
中田詠子
八 月一日、家族で集合場所の一ノ関駅に到着、北岡さんの車に主人と私は同乗させていただき、津波の被害が最も大きい陸前高田に向かった。一時間程は車からの 景色にこれといった変わった様子はなかった。ところが市内に入った途端、そののどかな景色が一変した。正に、ある線を境に世界が何度もテレビで目にした壊 滅的惨状に変わってしまった。
思わず息を呑む。言葉が見つからない。これが地震の災害だけではない、津波の被害の恐ろしさである。津波が無情にも 押し寄せ全てを奪った惨状の現実。道路を隔て、高台にある家には洗濯物が干され、不自由な中にも生活が営まれている様子がうかがえる。しかし、ほんの数十 メートル離れた場所は無惨な瓦礫の山と化しているのだ。三月十一日までは、お互い行き来し合うご近所づき合いがあったかもしれない。犠牲になられた尊い 命、そして助かった方々も、その心の傷は計り知れない。眼前に突き付けられた現実に打ちのめされ、無常観に心が沈んでいく。
何の前触れも、確認も覚悟する間も与えられず突然奪われてしまった、たくさんの、本当にたくさんの尊い命。ただただ静かに御霊に心から手を合わせることしかできなかった。今、別の車で同じ現実と直面している子供達が、それぞれ何を感じ思っているのか、ふと気にかかった。
今回、畑の瓦礫の撤去のお手伝いをさせていただいた熊谷研さんは、
「今はこんな姿になってしまいましたが、美しく素晴らしかった陸前高田を本当に皆さんにお見せしたかった。」
と声を詰まらせながらも、気丈に復興への気概を力強く語って下さった。長年住み馴れた自慢の郷里を破壊された無念さがひしひしと伝わってくる。それだけに皆、少しでも元気になっていただけるよう心を込めて精一杯、畑の瓦礫の撤去をお手伝いさせていただいた。
静かな物腰の奥様が別れ際に、声を振り絞るようにして、
「私たちがここで頑張って生きているということを忘れないでね。」
と涙され、互いにしっかりと手を握り合った。
ご夫妻の言葉と想いは被災された多くの方々の想いでもあると深く心に刻み陸前高田を後にした。
三 日目は、海岸清掃のお手伝いのためフェリーで大島に渡った。船上では寝食を共にし汗を流し打ち解け合って絆が深まった子供達が、かもめの餌やりに興じてい る。子供達の未来に向かって放たれるエネルギーに満ちた笑顔と笑い声に、何度も救われ力を与えられた。同じように可能性に満ちた生命の輝きを一瞬にして奪 われた御霊の無念を決して無駄にしてはならないと強く思う。
海岸では、強い陽射しの中、打ち上げられ干からびた海草や流木、断熱材を分別してビ ニール袋に詰めていく。様々な思いが交錯する中、ふと不思議な感覚にとらわれた。荒れ狂った海の副産物の清掃をしながら、その海の波の音に、張り詰め疲労 した心身が癒されているのである。何て矛盾した皮肉な現象…いや、そうではない。自然は今も悠久の昔も変わることなく宇宙の真理に基づいて呼吸し正し いリズムを繰り返しているのだ。我々人間がそのことを深く理解し、自然と共生することの真の意味を謙虚に学び直さなければならないのだろう。特に政治、行 政、産業に携わる者の今後の責任は大きい。
世界中が注目する程のこの日本最大の危機において、今回私達が具体的にお手伝いできた事は微力なのかも しれない。しかし現場に行くことによってしか得られなかった当事者意識が私にも子供達にも芽生えた。今後も自分達にできる事を常に考え、語り合い、実践し ていく原動力にさせていただきたい。
ありがとうございました!
中田宏
イベント終了後、熊谷さんとボランティアメンバー中田です。このたびは、皆様とご一緒させて頂きありがとうございました。皆様からのメールを頂戴していましたが、感謝・お返事が遅れたことをお詫びします。
実は、最終日の4日に、一足早く気仙沼を失礼しましたのは、花巻空港からの14時の飛行機に乗るためでした。4日夜に、大阪伊丹空港経由で高知空港に入りました。
我が家は毎年、四国88か所のお遍路をやっておりまして、5日から昨日9日まで高知から愛媛を歩いて、昨日夜遅く1日に家を離れて以来はじめて家族揃って家に帰りました。そんなことで、遅くなりました。
4日間、気持ちのいい方々と意義ある時間をご一緒できたことを心から感謝申し上げます。我が国でこんなにも大きなことが起きているのに、それをただテレビのニュースで傍観しているだけでは駄目だと思い家族で参加しました。
私自身は、既に被災地に幾度も行っておりましたが、「生きるとは何か」「当たり前の日常とは何か」「自然への畏敬の念」といったことを、子ども達が考える活きた学びの機会になると考えて参加しました。
と いうよりも、考え、働き、学ぶ機会が欲しいと思いつつも、そうした機会を一家族でつくることができないままだったところに、渋谷さんをはじめとした方々に よって、こうした機会を作って頂いたからこそ、実行に移すことが出来ました。渋谷さんをはじめ、ご準備頂いた青年塾の皆さん、現地で受け入れて頂いた被災 者の皆様に衷心より感謝申し上げます。
ささやかながらでも自らが作業することによって、知っているだけとは大違い、見るだけとは大違いということを子ども達は考えることができました。
ま た、共通の体験を通じて、親子で話すことができるということも今後の我が家にとって極めて大切なものとなりました。我々ボランティアは、それでも風呂に入 れていただき、雪の寒さではない季節に訪ね、食べ物も(贅沢なほど)十分に頂ける環境の中での4日間でしたが、今後感謝しながら日常生活をしていかなけれ ばならないと親子で話しています。
そして、こうして親子で参加できる仕組みというものも、ボランティア活動の中に設けることが重要で、今後のあり方として社会の教訓にしたいと思いました。
と ころで、我が家のお遍路は、高知県の足摺岬の38番・金剛福寺から愛媛県の40番・観自在寺まで、およそ125キロを4日かけて歩いてきました。家族で歩 いて8年目ですが、ようやく長かった土佐を”脱藩”して3県目の愛媛・伊予の国に入ることができました。これも親子でやるにはお薦めです。
本当にお世話になりました。これからそれぞれに感想文をまとめて、期限までに提出できるように致します。お世話頂いた方々とご一緒できた方々に改めて感謝申し上げます。
北岡隆浩
震 災があってから、少しでも被災者の皆さんのお役に立ちたいと、支援物資を送ったり、募金活動をしたりしてきましたが、現地で微力でもお手伝いしたいと思っ ていました。今回は、2人の大学生も一緒に来てくれて、何よりも皆さんと活動することができ、本当によかった。志の高い人達と語らいながら行動できたこと は、非常に自分の糧になりました。
高台から見下ろす陸前高田の風景は、「水気のある砂漠」のような感じで、これまでまったく見たことのないもので した。「たくさん家があったんですよ…」と村上一憲さんから説明を受けても、正直、想像できない。でも、自分の街が同じような被害を受けたら、ローン して建てたマイホームが破壊され流されたら、自分の身内が無惨に死んだら・・・
上甲健さんは「おそらく日本中どこに住んでいようと誰もが今回の震 災と同様の自然災害にあう可能性がある」と書かれていますが、であるならば、家族と自分の身を守ること、災害後の避難生活に備えること、そして復旧・復興 をいかにすべきか、考えなくちゃいけません。日本の国土を見捨てて、他所に住むなんてことは考えられないですから。
まず、家族と自分の身を守ることですが、これは身体を鍛えるしかないですね。中田宏さんのように。津波が来た場合など、ダッシュで坂を駆け上るだけの体力。絶対必要です。
次に避難生活。どこに避難するのか。避難場所の耐震化等はされているのか。食料や防寒等のための備えはあるのか。これについては、自分の住む市町村に確認し、足りなければ「ちゃんとしろ」と、首長や議会に要求すべきです。
そ して復旧・復興。これは国の政策・財政に負うところが大きい。ところが、我が国の政府は、毎度毎度迷走しているし、財政は莫大な借金を抱えている。いざと いう時のために貯金をし、困った時には必要なものにお金を出す。そういう「当たり前のこと」が、国が一番できていないような気がしてなりません。
今 回、一番嬉しかったのは、気仙沼市南町商店街の村上力男さんの顔が輝いていたこと。震災後、村上さん一行は、上甲塾長の計らいにより、神戸市長田区に商店 街復興の勉強に来られたのですが、その時にはさすがに暗い顔をされていました。しかし、避難所で、仮設商店街について語る村上さんの声には、力と明るさが ありました。具体的な計画ができ、実現しつつあるからなのでしょう。あきらめずに、コツコツと努力する姿。尊敬します。
復興しゆく高田と気仙沼。その姿を見ないわけにはいきません。皆でまた行きましょう!