石巻救援活動「活動報告と感想」
【活動内容】
左側の建物内、側溝の土砂撤去。
工場入口門周辺の土砂撤去。
門横の倉庫の瓦礫・土砂撤去。
1階トイレの瓦礫・土砂撤去。
人数も少なかったため、始めに作業箇所を聞いた時は、これだけの作業を完了することが出来るのかという思いもありました。しかし活動する中で、自然に誰か が「午前中にここを終わらせたいな」 「次の休憩までにここまではやりたい」などと声にしたのが、みんなの目標になっていました。そしてみんながそれに向 かって、一人一人がみんなの動きを見ながらうまく協力し活動することができたと思います。その結果、全ての箇所が途中で終わることなく、作業完了しまし た。
今回の活動で大人数での活動は最後になりましたが、平塚さんは「個人での活動はいつでも受け入れます」と言われていました。2階にあるものを整理しながら不要なものを出したい とも言われていましたので、まだお手伝いさせて頂けることはありそうです。
【平塚さんのお話】
1日目の夕食時に平塚さんが話して下さったことをお伝えします。
◎今後の方向性について
石 巻市の約4万人の方が水産業に携わっているが、行政では今後の方向性が全く決まっていない。そのため みんなが動きが取れずにいる。自分たちで10年後、 20年後を見据えた今後の道筋を決めていく会議をやっていくことになった。そしてそのリーダーに選ばれ、メンバーは平塚さんよりも年下限定にするという条 件のもと受けた。メンバーの中には市役所の職員も入っており、その会議で出た案や決定事項などを行政に訴えていく予定。
◎宗教(儀式)の必要性
経験がある方は思い出してみて下さい。
親族が亡くなった…
その瞬間、悲しみでいっぱいになり、涙が溢れ出てきますよね?
でも数分後にはハッと我に返るように、次のことを考えると思います。
親族・葬儀屋に連絡しないと。葬儀の日取りを決めないと。
あれをして‥これをして‥
悲しみに浸ってる間もなく、葬儀が終わり、故人は骨となって帰ってきます。そこで大切な人の死を受け入れられると共に、初七日・四十九日と日が過ぎていく中で、悲しみも少しづつ薄れていき故人が自分の中で生き続けるようになります。
ここまでは私の感覚であり皆さんとは違う部分もあるかもしれませんが、私は自分の祖父母の死を思い出し、以下の平塚さんのお話がすごく心に残りましたし、遺族の方の気持ちを考えると‥胸が痛み何とも言えない気持ちになりました。
(以下 平塚さんのお話)
今 回の震災で亡くなられ遺体が見つかった方のほとんどが、火葬できずに土葬されている。今の日本では当たり前のようにあるお葬式もなく、土葬ではいつまでも そこに体があり、遺族の悲しみが薄れることはない。棺の傍で悲しみに浸る遺族にかける言葉も見つからない。こんなに悲惨なことはないですよ。
普 通は誰かが亡くなると、その瞬間、すごく悲しくて名前を呼んだり抱きついたりするんだけど、ハッと次のことを考えるんだよね。誰に連絡をしなくちゃいけな いとか、やらなきゃいけないことがあって、悲しんでられないんだよね。悲しい気持ちよりも やらなきゃいけないことがいっぱいで‥
それが気持ちの切り替えになってたんだと思った。こういう為に宗教っていうのはあるんだと思った。
今回の震災で、宗教っていうのは必要なんだなと思った。
【感想】
最後に今回の活動で私が感じたことを記させて頂きます。
3月11日。
こ の震災があってから、1か月以内に同じくらい、もしくはそれ以上の地震が再び来るというのを聞いたことがありました。またSVCでお世話になった大島の民 宿の女将さんも 「今日(8月3日)、また大きいのが来るって言われてるんですよ。でも来ないよ。」 と言われてました。
私は今回の活動までにも何度か被災地を訪れ、その活動中や夜間にも何度か余震を体験していました。あれだけの被害を出した津波、その津波を起こした地震の後の余震。関西に住んでいる私にとって、初めて感じた余震は本当に怖くて、一人だった時には泣きそうにもなりました。
そ の頃、宮城県に住む友人は 「いつものことだ。もう慣れた。」 「これぐらいなら大丈夫だ。」 などと言っており、正直その言葉が信じられませんでした。 でも被災地に行く回数が増え、そこで余震を体験しているうちに、私自身もいつの間にか慣れてきてしまったのか‥初めて余震を感じた時の恐怖心はなく 「ま た揺れた」 と思うだけになっていました。
でも今回の活動中にあった余震は、私に再び大きな恐怖心を与えました。
皆さんもご存じだとは思いますが、8月19日 14時36分頃、福島県沖を震源としたマグニチュード6.8の余震がありました。この余震で石巻市は震度5弱、津波注意報も出ていました。
3月11日の数日前にも地震や津波注意報があり、その後 起きたこの大震災。そしてまた大きいのが来ると言われていたこと。
前日の余震で出ていた”津波注意報”は、次の余震が来た時、大きく揺れた時には‥と私に最悪の事態をも想像させていました。それだけこの津波注意報は私の気持ちに大きな影響を与えていました。
でもこの津波注意報がなければ、私は恐怖心を忘れたままだったのではないかと思います。山に囲まれた環境で生活している私にとっては無縁とも言える津波に対する恐怖心を今回、初めて感じました。
表現は不適切かもしれませんが…
被 災地の方にとっては慣れたくなくても慣れてきてしまうであろう、度々の余震。私自身も慣れるなんて思いもしなかったし、「慣れた」 なんて言う言葉が信じ られなかったはずの余震に、いつの間にか慣れてきてしまっていたということ、これまでは 「東北に行くんだから余震は仕方ない」 と思う私がいたことに気 付かされました。
天災は避けようがないものがほとんどだと思います。でもだからこそ、防災意識を持っていることが大事だし、自分を守る術を知っていないとダメなんだと思いました。
以上、長くなりましたが今回の石巻市での活動報告と私の感想とさせて頂きます。