柱の一本まで

上甲 晃/ 2000年10月16日/ デイリーメッセージ

旭川の小高い丘のうえにある優佳良織工芸館は、はるか彼方から輝いて見える。外見ばかりを飾り立てた、ちゃちな張りぼての建物ではない。坂道を上がり切ったところにある建物は、国際染織美術館と優佳良織工芸館、そして雪の美術館の三つ。いずれも、優佳良織を自らの手で開発した織元の木内綾さんの執念の建物である。執念がこもっている分、ドラマにも事欠かない。今年もまた、『青年塾』北海道講座では、優佳良織の織元である木内綾さんの一人息子である木内和博さんから、苦労話や思い出話、そして建物にかける思いを詳しく聞かせてもらった。

「織元は、100年、200年の評価に耐える仕事をしなければならないというのが、すべての判断基準です。そんなことでは、100年後の人たちに笑われる、それだけのことで、ノーと言われたことがいっぱいあります。例えばこの雪の美術館の玄関から見える塔は、柱の太さがすべて違います。経済性だけを考えれば、同じ寸法にしておけば、コストも安く、作るのに手間が掛かりません。ところが、織元はそれでは駄目だと頑として聞きません。結局、すべての柱の太さを変えました。同じようなことはいっぱいあります」と、織元の夢に算盤勘定を合わせる役割を担っている木内和博さんは、付いていくのが精一杯であった日々の思い出を語ってくれた。それは、「本物を求める厳しさ」との戦いでもあったようだ。

国際染織美術館には、世界の一流の染色品が展示されている。世界にも例のないコレクションである。この染織美術館をなぜ作ったか、理由を聞いて、私はさらに驚いた。「100年、200年、あるいはそれ以上の評価に耐えた一流の作品をすぐ横においてあると、私たちが作り出していく優佳良織は、いつも比較されます。もし私たちの作品の質が低下すると、すぐに解ります。隣に世界最高水準の作品を展示することにより、自らに対する厳しい評価の目を向けていただくことが目的でした」との話だ。一流をめざすものの、厳しさを改めて教えられるようだ。

建物を建築するときには、織元が柱一本に至るまで吟味に吟味を重ねて手抜きをしない。その打ち込んでいる後姿を現場の人たちが見ていて、この仕事は頑張らなければならない、手抜きをしてはいけない、全力を尽くそうという気持ちになっていった。言葉でハッパをかけるのではない。無言の後ろ姿で、人の心を動かしていく。一流の人間の姿勢はおおいに学ぶべし。ちなみに、織元は、雪の美術館のオープニングの前日、現場で働いてくれたすべての作業者を一堂に集めて、感謝の集いを開いた。ちゃんとみんなの苦労と努力を承知していたのである。

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