縄文杉を訪ねて
樹齢7200年と言われる縄文杉は、巨木の林立する屋久島のなかでももっともシンボル的な存在である。やはり、一目見たい、だれでもにそんな願いをもたせる魅力がある。
ただ、縄文杉は、簡単に人にその姿を見せてくれない。パスや自家用車では、行くことのできない山奥に、静かに、悠然と、そして密かに立っているのだ。今回は、最初から、縄文杉を見に行くことは、スケジュールにしっかりと書き込まれていた。うれしいような、ちょっと不安な気持ちで縄文杉を見学するスケジュールを眺めた。
早朝3時45分、起床である。私も妻も、早く起きなければならないと思うあまり、しはしば目をきました。寝たような、寝なかったような変な気分のままに、床を離れた。集合時間の4時30分、ホテルのロビーには今回の研修参加者34人が、すでに顔をそろえていた。日頃、美客室のなかを歩く程度の運動しかしていない人が多いだけに、不安と緊張の表情がみんなの顔に表れている。バスは、4時45分に出発。車中で、手渡されたパンを食べて、腹拵えをした。5時半、登山口に到着した。すでに、登山口の駐車場には、数台の車が止まっていた。
軽い準備運動をしたあと、いよいよ出発だ。往復12キロ。ほとんどはかつて屋久島の巨木を切り出すために作られたトロッコ道の上を歩く。線路の枕木を踏んで歩いたり、線路の間に渡された板の上を歩く。この辺りは、むんむんするほどの苔と羊歯の群生地である。よほど湿気があるのかまるで蒸し風呂のなかにいるようだ。倒木のうえにも苔は、鮮やかな緑色を誇っている。「モモノケ姫の世界」と誰かが言う。平地を歩くコースは比較的負担が軽い。この花は何、この木は何と、余裕の雰囲気がまだまだ健在だ。「日頃の行いが悪いから、雨が降らない」と冗談が出るのも、余裕のあらわれだ。月に35日雨が降る屋久島にめずらしく雨が降らない。
余裕の鼻歌が止まったのは、トロッコ道から山道に入ったとたんだ。極端な高低差を一気に登るのである。もう、誰もしやべらない。みんなの苦しげに吐く息づかいだけが、静寂の森のなかに聞こえる。平坦な地が少ないので、とにかくこえる。妻は、気持ちは前へ、リュックは後へといった具合にバランスを何回も崩して、よろける。この辺りから、樹齢数千年の屋久杉が姿を現す。やはり他を圧する風格をそなえている。決まって、わたしたちの一行は、立ち止まって、驚嘆の声を上げた。手付かずの森は神秘の世界である。かつて切り倒された株のうえに、種子が落ち、そこから新しく木が育っている。息を飲むばかりだ。
幹の下に人間が何人も入れるような空間をもつウイルソン株は江戸時代に切り倒されて、今は幹の一部と根を残すだけ。しかし、その大きさはけたはずれに大きい。幹の下の株のなかは、10人は入れる広さがある。そこから空を見上げると、不思議な景色が広がる。
ウイルソン株から縄文杉に向かう行程は、いっそう厳しい。私は裂目が入ったかと思うほどの激痛を膝に感じた。それでも、歯を食いしばり、誰にも気が付かれないように、痛みを堪えて登り続けた。
もうだめか、もう止めようか、何度思ったことだろう。しかし、ここまできて止めるわけにはいかない。「顔で笑って、膝で泣く」、そんな冗談を言いながら、痛みに堪え続けた。私と妻を除く他のメンバーは、さすがに若い。苦しさを訴えながらも、どんどんと前へ進む。
やがて、縄文杉が、目の前に表れた。それと同時に、雨が降り始めた。縄文杉は、他を圧する太さと大きさを以て、森に君臨している。まるで、孤独に生きる獅子のように、どっかりと、だけど何となく淋しそうに立っていた。今、縄文杉に直接手を触れることは許されない。人間が手を触れるために根を踏むことが、この老いた巨木をいじめることになるそうだ。お立ち台と呼ばれる舞台があって、そこから縄文杉と向かい合える。
私は、足の痛みを忘れて、縄文杉と対面した。なにか少し哀しげ、そんな風にも見えた。7200年の樹齢は、必ずしも正確ではないとも言われる。2000~3000年程度の樹齢説も有力である。しかし、ここではそんなことはどうでもよかった。人間の命の短さをはるかに凌駕している時間、縄文杉はこの場所で風雪に耐えてきたのだ。
屋久島では、1000年を越える樹齢のものを屋久杉と呼び、それ以下の自生のものは小杉、人間が植えた杉は地杉と呼び分けている。そもそもどうして屋久島の杉は長寿なのか。一つには、花崗岩の上で育つという苛酷な厳しい条件があるからだ。ふわふわの豊かな腐葉土のうえに植えられたら成長は早い。岩のうえにぐっと根をはっていくために、とにかく成長が遅い。その分、強さが秘められて、寿命が長くなる。また、岩のうえに根を張るので、十分な栄養を摂取できない。油分を貯えながら、粗食に堪えているのだ。「厳しい環境と粗食」が長寿の秘訣なのだ。「人間に似ているな」と、誰言うともなく、ささやき合った。
縄文杉と向かい合うお立ち台で、昼食のおにぎりをほうばった。本当に久しぶりに、おにぎりのおいしさが実感できた。雨が容赦なく、降り注いでくる。