即戦力
即戦力、即効性。最近の流行り言葉の一つであろう。切実にして、何となくいやな響きのある言葉である。「この不景気、人をじっくりと育ててから使うなどといった悠長なことを言っておれない」と、多くの経営者は口を尖らせる。なるほど、経営状況がまことに厳しい今日このごろ、人が育つのをじっくり待っておれないという、いらだたしい気持ちは、痛いほど理解できる。しかし、「だから、いつまでたっても経営が良くならないのではないか」とも思う。
この日、熊本市内で開催された「第34回九州地区高等学校商業教育研究会」で、基調講演をさせていただいた。九州全域から、4百人以上の商業高校の先生方が集まられた。私は、会場の雰囲気を知るために、開会式にも参加させてもらった。壇上には、この日の研究発表のテーマが垂れ幕にずらりと紹介されている。テーマの大半は、グローバル化時代に対応する人づくりの一環として、「英語教育」の具体的な実践例を取り上げている。手元の資料に目を通すと、「激変する経営環境に対応する人材をいかに効果的に育てるか」といった言葉が随所に踊っている。ただでさえも入学者が年を追うごとに、激減している商業高枚としては、企業のニーズにどのようにこたえるかが、緊急の課題なのだろうと、勝手に想像してみたりもした。
「すぐ間に合う戦力」を欲するのは、すべての組織に共通した願いであろう。ただ、私が疑問に思うのは、「すぐに間に合う戦力」は、「長持ちする戦力」かどうかである。もちろん、「すぐに役に立ち」、「いつまでも役に立つ」戦力は最高だ。しかし、それは余りにも虫が良すぎる。「すぐに役に立つように育てられた人」は、「すぐに使えなくなる人」になる危険性があるように思われてならない。
すぐ役立つためには、今の状況に対応した技術や知識が必要だ。ところが、時代は激変している。今の状況に役立つような即戦的知識や技術は、すぐに古くなる。そのときに、即戦的知識や技術は使い物にならない。「君の知識は古い」、「君の技術は古い」と言って切り捨てられる運命が待ち受けている。”即戦力”は、”即使い捨て戦力”。そんな風潮はないだろうか。促成栽培には、促成栽培の弱さがある。私はやっぱり、「即戦的な技術や知識の習得以上に、人間の根っこ、人間の生地を良くする人づくりをしていきたい」と、基調講演で訴えた。