梅干の話
和歌山県南部(みなべ)は、梅の名産地である。薄い皮と部厚い肉は、゛南高梅゛として、その名を全国にとどろかせている。全国の梅干の一割は、南部で収穫している。紀南(紀州南部)まで枠を広げると、全国の四割、和歌山県全体を取ると、全国の梅干の半分を収穫している。紀伊半島の温暖な気候は、おいしい梅干を作るのに適しているのだ。
昨日、南部川村に出かけた。梅の名産地の和歌山でも、最も中心の地域である。青い実を付けた梅の木が、平地にも、山の斜面にも、山の上にも広がっている。梅の木の幹には、決まったように青い網が巻きつけられている。夏の収穫期になると、この青い網を木の下に広げて、ぽとぽと落ちてくる実を受け止めるのである。
「ずいぶん立派な家が多いですね」と、私を駅まで迎えてくれた梅の農家である内川さんに声をかけた。「このあたりの梅の農家は、年間に三、四千万円稼ぐところはざらです。日本で一番豊かな農家にランキングされました」との説明がうなずける豪邸がいたるところにある。梅は、今、きわめて゛もうかる生産物゛である。口に入れるとすっぱい梅も、生産するとまことに゛うまみのある生産物゛のようだ。「やはり健康ブームのおかけですか」と聞いてみた。「そのとおりです。中国からはきわめて価格の安い梅が入ってきています。もちろん、これからは大きな脅威になるでしょうが、今のところは、価格よりも健康が重視される商品なので、南部産の人気は衰えていません」と内川さんは、自信ありげだ。
紀州の梅と聞けば、ずいぶん歴史が古いのではないかと想像した。それこそ、紀州藩のころからのお家芸かと思った。しかし、意外にもその歴史は浅かった。明治時代、内本源蔵という人が、この地には梅の生産が適しているのではないかと考えて植え始めたのがきっかけだとか。もともと、この地域では、温州みかんの生産が盛んであった。それが、時代と共に変化して、今はむしろ梅の生産のほうが主流になってきている。
「みかんは生産過剰になると、捨てなければならない。その点、梅は種以外に捨てるところがない。それだけでも、みかんを作るよりも、梅を作るほうが妙味がある」と、内川さんは教えてくれた。
もっとも、梅が人気になればなるほど、悩みもある。「儲かりすぎると、わがままになったり、傲慢になる。それが一番困ります。儲かりすぎると、すべてに非協力的になる。やはり、崩れるときは、精神から。よほど自戒しないと、自ら梅のブームを壊してしまう」と、内川さんは心配する。梅の話も面白かったが、精神の崩壊を案じる梅農家がいることがうれしい。