『青年塾』の思い

上甲 晃/ 2004年10月21日/ デイリーメッセージ

(この文章は、『青年塾』第九期生募集要綱のためのものです)

日本の未来は、青年達の手にある。その青年達に、何となく元気がないことを、私はずいぶん前から心配している。自由な世の中に生きているように見えて、実際はまことに不自由な生き方を強いられているのではないだろうか。豊かな世の中に生きているように見えて、実際はまことに心寒々とした生き方をしていないだろうか。

「若い人達を元気にしたい」。元気はつらつ、目はきらきらと輝いている。日本の青年達がそのように変化していけば、日本の未来に光明を見る思いがする。日本の未来を拓(ひら)いていくためには、次代を担う青年達を、元気はつらつ、目がきらきらと輝いているようにしなければならない。私が、九年前に、『青年塾』を立ち上げたのはそのような思いからである。『青年塾』は、日本の青年達を元気にする運動とも言える。

青年達を元気にする方法はただ一つ、将来に対して夢と希望、そして何よりも志をもつことである。人は、未来に向かって、大きな夢と希望と志を持った時、前向きに生きる喜びを感じるものである。将来に向かって夢も希望も志もなければ、「今が面白おかしければいい。自分さえ良ければいい」といった、刹那的で、近視眼的で、投げやりな考え方に陥ってしまう。夢と希望に燃え、志高く生きようとするならば、青年達のもつ可能性は無限のものがある。

『青年塾』は既に、八年の実績をもつ。全国五つのブロック単位にクラスを展開して、塾生諸君に最寄のクラスに参加してもらい、私達夫婦がそれぞれのクラスの講座に出かけていく方式も、かなり定着してきている。

また、『青年塾』の門をくぐった塾生の数も、間もなく七百人になる。塾生諸君の多くは、「全国各地にこれだけの仲間がいることは、私の人生の宝物です」と口を揃える。私もその通りだと思う。職場と家庭の中だけにしか人生がないのは、いかにもさびしい。また、そんな狭い世界に閉じこもっているだけでは、良い仕事もできないだろうし、家族としての良い働きもできないだろう。「青年よ、夢と希望と志に燃えて、大海に出でよ」と、私はいつも心の中で願いつづけている。

『志』とは何か?

私は、志とは、「人を幸せにする心」であると思っている。そして、「人を幸せにする努力」は、「自分を幸せにする道」であることも確信している。

だから、『志』を求める人は、いつも、「人を幸せにするにはどうしたらよいか」を求め続けている。例えば仕事をしていても、『志』を求める人は、「どうすればお客様を幸せにできるだろうか」、「どうすれば職場のみんなを幸せにできるだろうか」と求めている。また、家族の中においても、『志』を求める人は、「どうすれば家族を幸せにできるだろうか」と求めている。

野球選手にしても、自分の稼ぎのためだけにがんばっている人には限界がある。そこそこに稼げるようになれば、目的は達成されるのだから、それ以上のエネルギーは出てこない。もし、「野球を通じて日本の子供達に夢を与えたい」と思ったならば、自分の稼ぎのためだけに野球をしているのだと考えた場合に比べたら、比較にならないほどの世界が広がるはずだ。さらには、「日本だけでは飽き足りない。世界の子供達に夢を与えたい」と考えたとしたら、大リーグに活躍の場を求めていくだろう。イチローを始めとする人達は、自らの稼ぎを得たいという程度の思いをはるかに超えて、『志』によって大リーグに駆り立てられていったのである。

『青年塾』は、青年達に『志』の種を植え付ける場である。
具体的には、まず視野を広くもつことを一つの学びの柱としている。自分のこと、仕事のこと、家族のこと程度にしか、生きる関心がないとすれば、視野は大変狭いと言わざるを得ない。狭い視野から、高い志など生まれてこない。時代がどのように変化し、歴史がどのように変遷していくかにしっかりと目を向けていけば、おのずと自分の『志』は浮かび上がってくる。「学びなくして、『志』なし」。「無知は、無恥(恥知らず)」である。「世の中で何が起ころうが、時代がどのように変遷しようが、私には関係ないこと」と決め込んでしまった時から、青年は青年でなくなってしまう。

もう一つの学びの柱は、自らの人間性を高めることである。私はそれを、「人間としての一流を目指す」と表現している。人間として一流の人とは、他人の幸せを自分の幸せと感じ取れる人である。それに対して、人間として三流の人とは、自分さえ良ければいいとしか考えられない人だ。『志』を求める限り、「人の幸せを自分のことのように感じ取れる人間性」は不可欠である。『青年塾』は、その人間性を養うために、普段の行動、実践を重んじている。普段の行動において、常に、「他人を思いやる行動」を学ぶ。歩き方一つ、話し方一つ、座り方一つ、すべてにおいて、「人を思いやる行動」を習う。

生活即人間教育。普段の生活をしっかりと励むことが、「思いやりの心を育む」と確信している。食事作り、掃除を研修ととらえて、力を入れているのも、思いはそこにある。

私はいつも塾生諸君に言う。「『青年塾』で学ぶようになってから、あの人は人間的に少し成長した、との声が聞こえ始めたら、学びは成功だ」。

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