岡崎市立矢作中学校の正門を入ると、中庭がある。そこに、紅白の紐を結わえた白い布に覆われた真新しいモニュメントがあった。あいにくの雨から白い布を守るために、ビニールがかぶせてある。モニュメントの台座には、「立志」の二文字が、真っ白に刻まれている。同窓会が中心になって、創立百十周年記念事業として進められてきた「立志の塔」の除幕式は、準備万端調えられ、後は本番を待つだけのようだ。
私は、同行してくれた『青年塾』東海クラス・第六期生の辻本さんと犬飼君と別れて、校長室に案内された。校長室には、同窓会の幹部やPTAの幹部が既に勢ぞろいしている。ひとしきり挨拶して、間もなく始まる記念講演会の内容に頭をめぐらせた。校長室には、沈黙の時間が流れる。その沈黙に耐えかねたように、私の隣に座っていた同窓会長が遠慮がちに、「この中学校の創設当時は、公立学校ではありませんでした。地域の人たちが共同で組合を作り、設立したのです。だから、開校当初は、組合立の高等小学校でした」と話を切り出した。
私はその一言に、はっとした。デイリーメッセージを十年以上継続していると、「何気ない一言に、゛はっとする力゛」が身につくようだ。同窓会長の言葉を受けて、校長先生が、今から十年前に編纂された百年史を私の前に差し出された。開校当時の様子が紹介されている。私はすぐに書き写した。貧しいけれども向学心旺盛な子供たちがこの地域に多いこと、能力がありながら学ぶ機会のない子供たちのために学校を作ろうと立ち上がった当時の村人たちの姿が、綴られている。「風雨の中も、東西に奔走され、その間、幾多の障害があるのもよく励まされ、遂に」と、学校を自分たちの手で作り上げた経過が感動的に記されていた。
行政への依存心を棄て、必要であれば自分たちで作るという心意気に私は感服した。そして時代が下り百十年後、今度は、同窓会の人たちがお金を出し合って、「立志」のモニュメントを後輩にプレゼントする。「しっかりと志を立てよ」と励ます先輩の心が、伺える。そしてこの地にはぐくまれてきた゛高尚な気性゛に、私は、目に見えない偉大なる教育力を感じ取った気がした。こういうのを、精神風土と呼ぶのだろうか。
その精神風土は、現役の生徒たちをしっかり包み込んでいた。私が壇上に立った時、九百人近い生徒は、まっすぐ立ち上がり、「よろしくお願いします」と挨拶ができたし、講演中の私語は一切なし。居眠りする生徒も少なく、メモを走らせる生徒がほとんど。姿勢も凛々しい。「日本にも背骨がしっかりしている中学校がまだあること」を知り、うれしくなった。