援助再考
バングラデシュ訪問六回目の旅で、私は、援助について、いっそう深く考えさせられた。もちろん、何度も、考え方の浅い援助は、「害になっても益になることはない」と承知していた。しかし、それならばどのようにすればいいのか、まったく雲をつかむような状態であった。
そんな私が、グラミン銀行のユヌス総裁、そしてダッカ山形病院のラーマン先生の話を聞いて、はっきりとした一つの結論を得た気がした。この国を、自らの努力によって、貧困から救い出そうとしている人の声は、まことに含蓄があり、しかも正しい声のように聞こえた。
ふたりに共通しているのは、「こんなに多額の援助を受けていながら、どうしてこの国は少しも良くならないのか」という疑問である。それは私たち援助をする側からすると、「こんなに援助していながらも相手が少しも良くならないのは、援助の仕方に何か問題があるのではないか」という疑問でもある。まさに本質的、疑問である。
援助によって、「あなたは助ける人、私は助けられる人」という考え方がどんどんと広がっていることを、二人は、はっきりと最大の問題点であると指摘する。援助すればするほど、援助される側に依存心を与えてしまう。それが、国が良くならない最大の問題点である、二人の共通認織である。私も、その通りであると思う。援助すればするほど、「もっとほしい」、そんな気持ちが高じるものなのである。それは、何もバングラデシュに限らない。私たちの周りでも、同じことはいくらでもある。子供にさえ、与えれば与えるほど、「足らないことに対する不満」の気持ちが育ってくることは、私も経験済みである。ユヌスさんは、物貰い根性が、この国の発展を妨げていると言い切る。
NGO大国のバングラデシュは、今、曲がり角にある。援助だけでは、この国が本当の意味で立ち上がれないことを、バングラデシュの心あるリーダーの人たちが気づき始めてきたようだ。「どんなに立派な機械を世界中からもらっても、それを使いこなす人たちの考え方が育たないと、何も変わらない。それどころか、足らないことに対する不満ばかりが高じてくる」と、ダッカ山形友好病院のラーマンさんは、自らの経験を通じて、訴える。『お金をもうけたい』、そ
んな気持ちの医者に、どんなに立派な医療機器を寄付してもらっても、国の医療水準は少しも良くならない、そんな苛立ちを指摘しているのである。「バングラデシュの医療水準を高める」といった考え方を育てる努力があってこそ、寄付される医療器械が生きるというわけである。