堂々たる日本人
萩市長の野村興児さんは、かつて大蔵省の役人だった。地元の人達の熱いラブコールに応えて故郷に帰って、市長に就任した。その野村さんは、故郷に帰って、面食らったことがある。何気なく、「吉田松陰は」と話していたら、市民から、「松陰先生を呼び捨てにするのはけしからん」と注意された。萩市民は、それほど吉田松陰のことを尊敬してやまない。
野村市長は、吉田松陰が主宰した松下村塾の偉大さは、明治維新を起こした高杉晋作や久坂玄瑞、あるいは明治新政府において活躍した伊藤博文や山形有朋、田中義一などと言った総理大臣を生み出したことに留まらないと言う。゛長州ファイブ゛と呼ばれるような、余り有名ではないが、日本の歴史において確実な足跡を残した人たちを多数輩出していることにも注目すべきだというわけである。
明治になって、松下村塾で学んでいた若者達が、多数、ヨーロッパに出かけた。近代日本のあり方の手本となるものを学び取るのが目的である。中でも、゛長州ファイブ゛と呼ばれる五人は、ロンドン大学に留学して、イギリスの近代化した様子を様々な角度から学んだ。そして、後に、゛日本の鉄道の父゛と呼ばれる人、聾唖教育の父と呼ばれる人、東京工業大学の全身となる学校を創設した人、日本で最初の本格的なトンネルと言われる逢坂山のトンネルを掘った人、造幣局の原形を作った人などが、続々と生まれているのだ。
野村市長が強調するのは、それらの人達の姿勢だ。「彼らは、まともに英語などしゃべれない。だから、議論中心の授業の中では、きっとずいぶん苦労したはずです。背丈にしても、当時は、今と違って、イギリス人にかなり見劣りしたはずです。ところが、彼らはとにかく堂々としていたのです。当時、清国からは大代表団がイギリスに派遣されていました。それに対して、日本からの派遣団は、ゴマ粒ぐらいの小さなものでした。しかし、その堂々とした姿に、イギリス人は驚いたのです」。野村市長は、すばらしい話を聞かせてくれた。堂々とした日本人。最近は、つとに聞かれることのなくなった言葉だ。野村市長は続ける。「人間はどのような時に堂々とするのか?それは志と意欲がある時です」。
私にとって、その一言を聞いただけで、今回の萩における講座は、大成果だ。「志ネットワークとは、゛堂々たる日本人゛になる運動である。そして『青年塾』は、゛堂々たる日本人゛を育てる運動である」。そんな風に、勝手に決め込んだ。言葉はしゃべれない、それでも、堂々としていると一目も二目も置かれる日本人をお互い目指したいものだ。