昆布
北の国の朝は、早い。三時半過ぎには、夜が明け始める。この日、起床時間は、午前四時。四時半には、出かける準備をして玄関前に集まるようにと、担当の塾生から指示があった。窓の外には、牧場の景色が広がる。なだらかな斜面の向こうまで晴れている。年中強い風が吹く襟裳岬にしては、奇跡的とも言えるほど穏やかな天候だ。風力発電の風車が、ほとんど静止している。牧場を鹿が飛び跳ねながら、横切る。この天候なら、昆布採りの作業を手伝う研修ができることは間違いない。
襟裳町役場の農水産課長である三戸さんが、私達を迎えに来てくれた。「昆布漁には最高の天気です」との言葉に促されて、私達は車に分乗して、海岸に急いだ。三戸さんが、港の堤防の近くで車を止めた。堤防の界隈には、昆布漁に出かける舟が、船外機の音をけたたましく立てながら、待機している。「五時ちょうどにサイレンが鳴ります。それが合図です。サイレンの音と共に舟が一斉に魚場に向かうのです」と、三戸さんが説明してくれる。まるで、競艇場のスタート前のようだ。舟の数は数え切れないほど多い。どの舟も、乗り込んでいる人は一人だけ。「どこで昆布を取るか、場所決めはありません。ただ、スタートの時間を決めて、後は自由競争というわけだ。
海から良く見える小高い丘陵の上に、白い旗がはためいている。この白い旗は、昆布漁師の元締めである旗本が、毎日の天候を決めながら掲げる。昆布は、天日に一日だけ干す。だから、朝から雨が降っていたり、昼から雨が降るような日は、赤い旗が上がる。赤い旗は、昆布漁をしてはいけない日なのである。゛幸せの黄色いハンカチ゛ならぬ白い旗が、穏やかな一日を教えてくれるようである。
午前五時ちょうどに、海岸線にサイレンが鳴り渡る。待機していた船がいっせいにスタートする。無数の舟が、白い波を立てて、先を急ぐ。比較的海岸線に近い岩場に舟を止めるのは、港に近い地元の人たち。遠くから遠征してきた舟は、港から離れたスポットに向かう。舟に昆布が一杯になると、舟は水揚げのために帰ってくる。その往復を何度も繰り返す。
陸では、大勢の人達が、舟の帰ってくるのを待ち受ける。私達は、一軒の漁師さんの家で、昆布を干す仕事を手伝うことになった。長靴に履き替え、軍手をはめ、準備万端整った私達のところに、一艘の船が帰ってきた。舟の中には、収穫したばかりの昆布が、独特の色艶を誇るように何重にも積み込まれている。
手際良く昆布を水揚げするのは、奥さんの仕事。昆布を降ろすと、舟は再び海に出る。私達は、昆布を積んだ運搬車の後に続く。干し場は、白い小さな石が敷き詰められている。その石の上に、昆布をまっすぐに伸ばしていく。十メートル近くあるものも多い。「あまり強く引くと切れてしまい、昆布の等級が下がります。切れたら、請求書を送りますから」と脅されて、そろりそろりと昆布を引く。昆布には海の香りがする。黒光りした表面が、この地方の昆布の良質さを表している。
どこの家でも、昆布を干す作業に、家族総出。それどころか、学校の先生や役場の職員も借り出されて、地域総ぐるみの働きだ。すべての家が水揚げされた昆布をいっせいに干す様子を見ていると、私の心の中に、なんとも表現しにくいような喜びが、こみ上げてきた。みんなが揃って真剣に働く姿は、こんにも凛々しく、美しいものかと、感動してしまう。
昆布が、至る所で、太陽の光線にさらされている。整然と白い石の上に並べられた昆布が光線を反射して、黒光りする。休日のこの日、子供達も働いている。都会に働きに出ている若い人たちも、呼び戻されて、手伝っている。日本の原風景、そんな言葉が、私の頭の中をよぎった。
次の予定に追われていた私達は、たった一回の水揚げを手伝っただけだ。「邪魔にこそなれ、何の役にも立たなかった」と反省仕切り。それでも、昆布漁師の家族の人たちは、「また、いつでも来てくださいね」と、別れ際に、にこやかに手を振ってくれた。沖から舟が再び帰ってきた。昆布漁は、七月から十月ぐらいまでの間、行われる。
「漁の期間が終わると、くず昆布を拾い集める人やよそに働きに出る人、農業にいそしむ人など、それぞれに生活の糧を稼ぎます」。そんな話を聞きながら、昆布漁でにぎわう海岸を後にした。