警告の一言

上甲 晃/ 2000年11月20日/ デイリーメッセージ

瀬戸内寂聴さんが、朝日新聞に寄せていた原稿は、私の日ごろの思いと大変共通している。まるで、私が青年塾を創設した思いを見透かしているようにさえ思う。
まず、瀬戸内さんの文章を紹介してみたい。「子供たちが悪くなったと言うけれど、子供たちは大人の背中を見て育つのです。子供だけにしっかりしろと言っても無理です。大人に緊張感がない。他人のことを思いやる想像力を失っている。自分の国さえよければ良い、自分の町さえ良ければ良い、自分の家庭さえ良ければ良い、自分さえ良ければ良い、そんな利己主義がまかり通ると思っている」。

ずばり、私の思いと同じである。寸分違わない。まるで、私の思いをそのまま代弁していただいているようにさえ思う。本当に日本人の精神は地におちつつあるのだ。精神の退廃とは、「自分さえ良ければ良い」という精神の跋扈である。自らを省みて、その退廃を実感せざるを得ない。

しからばどのようにすべきであろうか。処方箋もまた、瀬戸内さんと私は同じである。再び瀬戸内さんの言葉を紹介してみたい。「このままでは21世紀の日本はないと思います。でも最近は少し考え方を変えたのです。どの分野でも、一芸にすぐれた若者は、自分しっかり持っている。権威や肩書きにとらわれず、自分の触覚だけに頼っている。それが唯一の希望かも知れません」。最後の砦は、次の時代を担う若者にある。私の思いと、瀬戸内さんの思いは、ピタリ同じであり、私が青年塾を創設した思いである。閉塞する状況に対して、どこから、誰が手を打つか、それが問われているのである。

私は、次の時代を担う若者に託すことに決めた。若い人たちに、自分さえ良ければ良い、今さえ良ければ良いといった「けちな人間になってほしくない」。その思いを、ひとつの教育として実践していきたいのである。

今の時代、食べることに事欠くわけではない。行きたいと思えば、どこにでも行ける、したいと思えば何でもできる、そんな恵まれ味代に生きているのだ。あとは、「志」、「高い精神」を持つ以外の贅沢はない。

精神が衰えると、何をしても物事がうまく行かなくなる。精神が欠けると小手先の方法論ばかりが取り沙汰される。目先の動きに右往左往、奈落の底に落ちてしまうのがおちである。亡国、そんな言葉さえ、思い浮かんでしまう。精神を立て直すことが、すべての先決だ。「青年よ、改めて、高い志を持とう」。

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