政策

上甲 晃/ 2005年10月08日/ デイリーメッセージ

宮城県知事・浅野史郎氏が、三期十二年をもって、知事の椅子を降りた。浅野知事自らは、後継者に県の元総務部長を指名した。民主党と社民党が、その人の推薦を決めている。それに対抗して、松下政経塾の第十三期生である村井嘉浩君は、自民党の県連幹事長。自民党の推薦である。県会議員としては、三期目。年齢四十五歳である。
宮城県知事選挙告示の当日、村井君は、多くの支援者の前で高らかに第一声を上げた。私は、激励の挨拶の後、白いカバーをかけた演壇のすぐ後ろに立ち、村井君の政策に聞き耳を立てた。全国的にその名を馳せた浅野知事の後釜を狙うだけに、浅野知事以上の魅力を感じさせるものがないと、イメージだけでは通用しない。
村井君は、三つの公約を発表した。
第一に、官の力や中央に依存しない。民間の力を存分に生かしていく。まず、副知事に民間人を選ぶことを含めて、゛官力゛を打破する。県民の総合力を発揮してもらい、宮城県の未来を切りひらきたい。第二に、宮城ブランドのトップセールスマンとして、現地現場に赴き、県民のみなさんと共に力を合わせて、全国に通用する独自の宮城ブランドを育てていく。第三に、知事の退職金を辞退する。一期四年の任期に対して支払われる五千万円を超える退職金は、この財政難の時代、受け取ることはできない。まして県民の皆様にお力をお借りする以上、知事自らが身を削るような姿勢がなければならない。
私は、村井君のすぐ後ろに立っていたから、支援者の表情が良くわかる。支援者の反応が一番大きかったのは、やはり、退職金の返上だ。「自ら身を削ることから始める」といった大向こうをうならせる宣言に、支援者は熱い拍手を送っていた。大衆は、いつの時代になっても、リーダーが私服を肥やすことを嫌い、自ら身を削るような姿勢を求めるものだとつくづくと再確認させられた。
そしてもう一つ、私が評価したことは、「五十年、百年先を見通して、本当に誇りをもてる宮城県を作り上げていきたい」と言い切った部分である。大衆は、常に目先、そして自分の利益を求めるものだ。しかし、本当のリーダーは、それを越えて、歴史の評価に耐えうる仕事をしなければならない。五十年、百年先を考えることは、松下幸之助が塾生に求め続けてきたところでもある。松下幸之助が求めた本当の政治家として、村井君が大成することを祈りつつ、私は仙台駅に向かった。仙台での滞在は、わずか三時間だった。しかし、私の心は、すっかり熱くなった。

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