志の人

上甲 晃/ 2005年03月11日/ デイリーメッセージ

第八期生の修了発表会である。会場は、いつもの通り、神奈川県・箱根町の芦ノ湖キャンプ村のホール。テーマは例年のように、「志の人」。自らの周りで出会った「志の人」を取り上げて、四百字詰め原稿用紙で十枚の原稿を書くことが、『青年塾』一年間の研修を修了する時の条件である。デジタル化の時代、最近の若い人は、まとまった文章をほとんど書くことはないと聞く。だからこそ、『青年塾』では、敢えてまとまった分量の文章を書いてもらうことも、一つの大事な研修にしている。

最近は、「志の人」の文章を書く時に、一つの条件を付けている。「両親や会社の上司は駄目」。それは、上司や両親を尊敬するなという意味ではない。手を伸ばす範囲の人を取り上げることは、安易なのだ。「ちょっと頑張って手を伸ばさなければ届かない人」を取り上げるところに意味があると考えているからだ。日常性の枠を越えなければ、成長がない。

八十人を超える塾生諸君の発表をすべて、背筋を伸ばし、一言一句逃さないように、しっかりと聞かせてもらった。それは、課題を出した私の責任であり、努力して文章を書いてくれた塾生への礼儀である。
それにしても、なかなか興味ある内容の発表も多かった。名もなく、平凡な人生を送っているようにしか見えない人達にも、ちゃんと志があるのだ。内村鑑三氏の言う、「平凡でも、高尚な生き方」である。名言も、多かった。思わずメモしたりもした。

「精神は、頭の中にあるのではなく、身体のあらゆる細胞に宿る」。これなどは、かなりの名台詞だ。゛精神゛を『志』と置き換えると、「志は、頭の中にあるのではなく、身体のすべての細胞に宿る」となる。頭で考え、口先で唱える『志』ではない。立ち居振舞い、すべての言動、これらすべてが、『志』と言えるようでなければ、本物ではないといった意味である。

「人生において大事なことは、幸せになること。そして幸せになれる考え方をすること」。これもなかなかいい。人生の究極の目的は、幸せになることとすれば、すべてはそこに行き着かなければならない。物事で迷った時には、「それで幸せになれるのか」と考えればいいわけだ。「自分を必要とする人がいれば、苦しみに耐えられる」。これも、含蓄のある言葉だ。

生き残りの特攻隊員。「生き残ったことが恥ずかしいと、ずっと思ってきた。しかし、特攻隊で散っていった仲間のことを伝えるために生かされていることがわかった」と言うその人は、遺族探しに人生をかけてきた。まだまだある。平凡で高尚な生き方。それこそが、『青年塾』のめざすべき志の第一歩である。私もまた、塾生諸君から学ぶところが多かった。

この記事をシェアする