三泊四日の『青年塾』修了発表会、そして出発式に臨む塾生諸君の姿勢には、こちらが本当に感心させられる。寸劇、ディべート、一年間の研修のまとめ、修了発表など、実にたくさんの課題を見事にこなして、準備してきているのだ。仕事もあり、家庭もあり、さらに塾生同士の住んでいる場所も遠く離れている。それでもなお、「そこまでやるか」と感心するほど、十分な準備をしてきているのだ。
十分な準備は、会合の雰囲気を大いに盛り上げてくれる。しかも、各クラス間の競争意識も手伝い、趣向はさらにエスカレートする。どの一つをとっても、本当に面白いし、充実している。私からすると、見飽きないし、聞き飽きない。長丁場の会合で、形式だけの、中身のない発表を聞かされる苦痛に比べたら、雲泥の差である。
初期のころの塾生諸君と比べると、最近の塾生諸君は、比べものにならないほど、『青年塾』活動のすべてについて、熱心に取り組んでいる。
それは、塾生諸君の問題ではなく。私自身の問題である。仕事を持ち、休みの日がないほど忙しく働いている塾生諸君に、余りにも過重な課題は気の毒だと考えてきた、その私の考え方の中に原因があったのだ。余り無理をさせられないと思うから、「この程度でも止むを得ない」と妥協する。その妥協が、研修の取り組みを緩いものにしてきたのである。
年を重ねるに従い、塾生諸君がまことに熱心に取り組むことを知り、私は、次々に困難な課題を提供し続けてきた。塾生諸君は、それに対して悲鳴をあげるどころか、益々食いついてくる。松下政経塾の卒業生で、『青年塾』の研修指導をしてくれている金子一也氏が、「松下政経塾の塾生以上ではないでしょうか」と感心するぐらいに、レベルが上がってきたのである。それは頭の良し悪しではない。研修に取り組む熱心さが、年を追うごとに、増してきたのである。
熱心に取り組むから、中身が充実してくる。中身が充実してくると、益々面白くなってくる。『青年塾』の研修が盛り上がるのは当然だろう。うれしい限りであり、゛塾長冥利゛に尽きる。今年もまた、出発式を迎えるに当たり、「今年が最高」と思っている。そんなことを言うと、過去の塾生諸君から、「それでは今までは良くなかったのか」と批判されそうである。しかし、それは違う。このところ毎年、「今年の『青年塾』は過去最高」と思えるのだ。それは、私として、満足できる研修ができたことを意味する。まだまだ、塾生諸君は、やってくれそうな気がするので、さらに過重な課題を与えていく所存である。来年もまた、「今年が最高」と思えるようにしたい。